沖縄の報道機関に求められるものとは?「人」に焦点を当てた取材を通して

米軍普天間飛行場のある沖縄県宜野湾市で生まれ育った玉城江梨子さんは、2004年から琉球新報社で沖縄の魅力を発信し続けている。沖縄戦から80年近く、沖縄返還から50年経つ現在でも危険と隣り合わせにある沖縄の報道機関はどうあるべきなのか、玉城さんのキャリアや「人」に焦点を当てた取材経験を通して、その想いに触れてみた。(聞き手:一木万由子  連載企画:学生が迫る、メディアの担い手の素顔)

顔写真

(玉城江梨子さん)

『沖縄戦報道を変えたい』と大口を叩いて入社

ーー琉球新報社でのお仕事の概要について教えてください。

今はデジタル推進局デジタル編集グループに所属しています。新聞掲載記事がwebでも読みやすいよう見出しや写真を工夫してニュースサイトへアップしていく作業や、YahooやLINEといったプラットフォームへの配信、SNS運用などをしています。そのためデスク業務の方が取材執筆業務よりもずっと多く、割合的には8:2か9:1くらいです。

ーーどのようなテーマに、とりわけ関心を持たれてきたのでしょうか。

琉球新報社での17年間においては、取材執筆を行う編集経験が一番長いのですが、ずっと取材を続けてきたのは沖縄戦のことです。私の入社動機にもなるのですが、採用面接で「沖縄戦報道を変えたい!」と大口を叩いたということがあるんです。読者としての学生時代から『沖縄戦に興味関心がある人にはすごく伝わる一方で、そもそも興味関心が無い人には手に取ってさえもらえない、怖いからとか悲しいからっていうので倦厭されてないかな』と感じ、「沖縄戦の伝え方を変えたい、報道を変えたい」と言って入社したので、ずっと何らかの形で沖縄戦報道には関わってきました。

そこから付随して「みんなが安心安全で平和に暮らせる世の中にしたい」と思ってくるとマイノリティーの方にも目が向いていき、障害者問題や介護福祉、また私自身が今子育て中なので子育てやジェンダーにも目が向くようになり、その辺の取材も多いです。

ーーご自身の生活の中で気付いた点を軸に、記事にしているのですね。玉城さんが書かれた中で、「おかえりモネ(※NHK連続テレビ小説。気仙沼で生まれ育つも東日本大震災時たまたま津波を見ることがなかった主人公が、被災後苦しむ周囲の人に負い目を感じながらも地元に貢献したいと奮闘する物語)」についての記事が印象的でした。同記事で、「おかえりモネ」と沖縄戦を関連付けた意図についてお聞かせください。

意図があったというよりも、私は見ていて沖縄戦のことばかりしか浮かんできませんでした。主人公の地元にいなかった後ろめたさが今までの沖縄戦体験者たちの言葉と重なって、涙が出てきたんです。『あの人もモネみたいな気持ちで語ってたのかな』と思うと、今まで取材で聞いてきた言葉がより立体的になっていきました。

取材していて感じるのですが、戦場ってその場で終わるものではなくて、体験者にとっては決して過去のものではないんです。そのようなところが「おかえりモネ」と一緒だなと思いました。他の震災や大きな事故のサバイバーの人たちにも、そういった思いを抱えているかもしれません。

Yahoo!イベント(20180802)

(戦争についてどう伝えるのかについてYahoo!ニュースのイベントで話す
玉城江梨子さん=2018年8月)

議論を避けてきたのではないか

ーー宜野湾市で生まれ育ったとのことですが、米軍の存在は身近に感じられていましたか。

そうですね。宜野湾市には普天間飛行場があるので米軍機は日々飛んでいます。生まれ育った時から、基地やそのフェンスがある風景は日常のものでした。宜野湾の学校だと、授業中に1,2回は米軍機が飛んで授業が中断するんです、先生の声が聞こえなくなってしまうので。でも中学校から那覇の学校に行ったときに、『こんなに静かなんだ、授業って中断しないんだ』と思ったんです。基地の近くに住んでる人の特徴なのかもしれないのですが、それが当たり前すぎて感覚が麻痺しちゃうんですよね。

基地の話をすると右とか左とか言われがちなんだけれども、私たちからすると生活の中に危険なものがあり、交通事故と同じくらいのレベルで事故が起きるから、根本問題をなんとかしないといけないと思って、基地問題とは接してる感じです。普通に、安全に暮らしたいという思いです。

ーー他県にも米軍基地は存在していますが、沖縄返還から50年が経とうとしている中、どうして沖縄だけに米軍の影響が長引いてると思われますか。

こっちが聞きたいくらいです笑。でも日本の戦後は、日米安保条約の傘の下で平和を享受できたから経済活動に邁進できたっていう部分もあり、その日米安保の代償って誰が払ってきたのかっていうと沖縄なんです。

サンフランシスコ講和条約で日本が独立したときに、沖縄と奄美だけが日本の政権下から外れて、そのとき本土では米軍基地反対運動が起きたんですよね。反対運動をした結果、日本本土にあった米軍基地が沖縄に移転してきたんです、日本ではない沖縄に。どんどん基地が集中していって、その結果日本の自国土の0.6%しかない沖縄に70%の米軍基地が集中してるという状況が生まれました。50年前の復帰の時に、沖縄の人も基地を少なくしてほしいということを願ったんだけれども、それが叶わなかったのは、日米安保をどうするのか、負担を全国で分かち合うのか、それとも基地は完全に無くすのかという議論を政治が避けてきたからなんじゃないかと思います。

あとは地域をいびつにしちゃうんです。普天間飛行場の危険性を除去するために、辺野古に新しい基地を作る計画があるけれども、もう仕方がないっていう人とやっぱり嫌だっていう人はいて、地域が二分していくんですよね。本当に小さい地域なので賛成派と反対派で話ができなくなってしまうんです。沖縄が50年経ってもいろんなことから脱却できないのは、基地の存在自体が大きいのかなとは思いますね。

戦後が続くって、とってもいいことじゃないですか

ーー大学時代に沖縄の歴史文化を学ばれたとのことですが、その学びを映像ではなく文字で伝えようと思ったのはなぜですか。

その当時私もテレビ局と新聞で悩んでいて、新聞の方がじっくり取材をできそうだなと思ったんですよね。その認識は今間違っていると思うんですけど、大学生の私から見たときテレビ局はすごく表面上な感じがしてしまっていたんです。「私は気になることを調べたり、人に話を聞いたりするのが好き。そういう仕事をしたい」と思ったときに、新聞の方がじっくり取材できるのかなというのは漠然と思いました。ただそう言いつつ、わたしの就職活動期は就職超氷河期って言われた時代だったので、正直入れればどこでも行ったかもしれません笑。

ーー玉城さんの記事内の自己紹介文には、『沖縄の本当の良さを届けたい』と書いてあります。

その文言は、沖縄って怒ってばっかりいるんじゃないよということを伝えたくて書いたんです。というのも、当時ニュースでは基地問題に怒っている沖縄の姿ばかりが映し出されていて、「沖縄怖い、沖縄はいつも怒っている」という印象が強いように感じたんです。どうして沖縄の人たちが基地にこんなに反対するのかを理解するためには、沖縄がどんな歴史を歩んでどんな人たちが暮らしていて、どんな思いを抱えていて、ということを知らなければいけないと思うんです。

ネットを見ていると「みんな沖縄嫌いなんじゃないかな」と思うくらい罵詈雑言を浴びせられるので、イデオロギーで何かやってるわけじゃなくて、「基地を作らないでください」と言っている人は東京に住んでいるあなたと全く違う人間というわけではなく、むしろ大事にしたいものは変わらないはずなんですよ。そういうことを伝えたい、知ってもらいたいと思い、そう書きました。

戦後70年特別編成紙面(表)

(戦後70年特別編成紙面)

ーーこれまでの取材執筆経験を通して、特に本土の人に沖縄の良さが伝わったと感じた経験はありますか。その経験談をお聞かせください。

戦後70年記念の時に、6月23日慰霊の日の朝刊ラッピング(※普通の新聞紙をもう一回包む業界用語)紙面を担当したんです。

6月23日の紙面は、沖縄の新聞社にとって非常に大事な日であり、沖縄戦のことを記録して語り継いでいく日でもあるし、二度と戦争を起こしてはいけない誓いの日でもあるんです。76年前の新聞とかラジオは、大本営発表を垂れ流し国民を戦争に駆り立てたという負の歴史を持っているんです。琉球新報も例外ではなくて、十・十空襲という那覇の9割を焼いた空襲があるんですけど、軍の本部は「被害は軽微なり」と発表するんです。当時の記者は目の前で色々なものが焼けて大勢の負傷者が出ているのも見ているのに、発表のまま「被害は軽微なり」と書くしかできなかった、県民を騙して戦争に導いていったということがあるので、そういうことも二度としてはいけないと確認する日でもあるんですね。

そんな日の、70年という節目の年の特別紙面の全体プロデュースをすることになったんです。70年の年月なのか、大勢の人が死んだということなのか、砲弾が落ちたことなのかとか、色々考えていたときに新人の子から、『戦後が続くってとってもいいことじゃないですか』と言われたんです。「あ、確かにそうだな」と思って、今が戦前や、戦後1年戦後2年に戻してはいけない、これがずっと続くように私たちは努力していかないといけないと示そうと決まり、戦争が終わった1945年から2015年までの71年間に生まれた人たちの笑顔を並べたんです、1年ひとり。

またこの70年間は、戦争体験者が戦争体験を語り継いできた70年間でもあるんですね。自分の肉親や大事な人が亡くなってたり、目の前で人が死んでいく様を見ていたり、誰かを見捨てて行かなくちゃいけなかったり、地獄って言われるような現場を見てきた人たちが語るって、相当な負担になります。「今こんな風に笑顔で暮らせているのも彼らがあの戦場、戦後の大変な時期を生き抜いて、平和を守ってくれたから」と思うので、それに対する感謝もしたためて紙面にしたんです。

ーー何か反響はありましたか。

すごい反響がありました。この6月23日の新聞というのは、どのメディアも衝撃的な話を載せてくるんだけれども、毎年暗い重い話が載る6月23日の紙面が、朝見てみると笑顔の新聞なんです。どう受け入れられるのかと凄く心配でしたが、戦争体験者の方からのこれを見て泣きましたという声だったり、全国の人からも大量に注文がきたりしました。

これは沖縄という場所がどんな場所なのか、戦争で大勢の人を亡くしてそこからどう沖縄の人たちが今の沖縄をどんな想いで作っていったのか、どれだけの人が努力したのかっていうのを考えたり感じたりする、1つのきっかけになればいいなという思いもあったので、そこは少しだけかもしれないけど、伝わったかなというのは思いました。

ーー戦争中は新聞も兵器と呼ばれた時代でした。70年経った今、素敵なお話が聞けてよかったです。

LINEニュースアワード(20181219)

(LINEニュースアワードを受賞=2018年12月)

物語をちゃんと紡いで、色々な人に届けたい

ーー私たちの世代は、沖縄のために何ができるでしょうか。

観光地としての沖縄ってすごく魅力的だし、それももちろん沖縄の一面であることは変わりはないんだけれども、それだけじゃなくて沖縄の悲しい歴史だったり今置かれている不条理な状況っていうのを覚えていて欲しいです。「この状況おかしいよね、変えなきゃいけないんじゃないか」と思ったなら、自分のいる場所からどうやったら変えられるんだろうと考えて欲しいです。

そして具体的なアクションとしては、選挙に行ってちゃんと投票をすることです。もちろん人によっては、経済対策やジェンダーの問題が重要だよねって考えるかもしれないんだけれども、その中の1つとして沖縄政策も考えて投票してもらえるといいのかなとは思います。

ーー今後、特に力を入れたいテーマや伝えたいことがあればお聞かせください。

私はやっぱり人が好きなので、人を通して沖縄の社会のことや今起きてることを伝えていけたらいいなと思っているのと、もう1つは今後沖縄戦の体験者がいなくなっていく時に、もっともっと新しい伝え方をしないといけないはずなので、いろんなものに取り組んでいきたいです。

個人的には女性を取り巻く環境をもう少しやりたくて、例えば女性視点の沖縄戦や沖縄の戦後だったり、沖縄の社会の中でジェンダー不平等になっている所がないか、とかですね。沖縄って他県に比べて働く女性が多いんだけれども、それでも意思決定層にいる女性の数が半々じゃないのはなぜなんだろうとか、そういうことも今後やっていきたいです。

ーー沖縄戦のことは変わらず伝えていこうと思われますか。

そうですね、沖縄戦のことは変わらずやりたいし、やらないと多分私気持ちが悪いんだと思います。新しいことにチャレンジしようと思って手を出しているのだけど、どこかでずっと引っかかっていて、溢れ出してくるように書かなきゃと思うのは沖縄戦のことなんですよね。

戦争体験は人それぞれで、同じ場所にいても違うものが見えているので、そこを丁寧に伝えていくことで、この人の証言にはピンと来なくてもこの人の証言はすごく響くとか、逆に今は感じないけど時が経ってもう一回この証言を聞いてみるとすごく迫るものがあることがあります。物語っていうとフィクションみたいだけどそういう意味ではなくて、「一人一人の物語をちゃんと紡いで多くの人に届けたい」と考えています。 玉城 江梨子のポートフォリオ メディアの担い手のための審査制プラットフォームChrophy(クロフィー):ポートフォリオ作成からAI文字起こしまで chrophy.com

玉城江梨子
琉球新報社記者。普天間基地がある宜野湾市で生まれ育ち、大学で沖縄の歴史文化を学んだ後2004年に琉球新報社に入社。主に米軍基地問題や沖縄戦を軸に沖縄の「人」に焦点を当てて取材執筆活動を行ってきた。2017年以降デジタル推進局にて表現の幅の拡張を武器に新しいメディアの形を模索しながら取材執筆を続け、沖縄の魅力の周知に貢献している。
※過去記事の一部は、こちらからご確認いただけます。

聞き手&執筆担当 :一木万由子
慶應義塾大学経済学部2年
株式会社クロフィー インターン

インタビューを終えて:執筆されている記事からも推測できるように、人との関わりが好きで前向きな方だという印象を受けました。わたしは歴史が好きなのである程度の知識はありますが、歴史で習うことはすごく表面的なことでもあるので人に焦点を当てたメディアをこれからも楽しみにしていきたいと思っています。

本連載企画について:メディア関係者と広報PR関係者のための業務効率化クラウドサービスを開発する株式会社クロフィーでは、両ユーザーに向けた本連載企画を行っております。編集は庄司裕見子、サポートは土橋克寿

ご質問などございましたら、こちらの問い合わせフォームよりご連絡願います。また、弊社のインターン採用・本採用にご興味を持たれた方は、こちらの採用情報ページよりご連絡願います。

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