「キャリアの共同形成を」仕事にも家事・育児にも没頭した元政治記者が、伝えたいこととは?

共同通信社で約20年間記者を務めてきたものの、妻の米国転勤に伴い、休職する道を選んだ小西一禎さん。米国では家事や育児をこなしながら、キャリア形成の多様性に関する研究や各メディアへの執筆活動に打ち込んだ。新たな環境で、新しい分野への理解を深めようと思った背景には何があったのか。米国での経験に加えて、そこから得た学びや今後に活かしたいことについて伺った。(聞き手&執筆:吉田陽香 編集:小南陽子 連載企画:学生が迫る、メディアの担い手の素顔)

ターニングポイントは、誰も予期しない出来事だった

ーー学生時代に関心があったことを伺いたいです。

私が大学2年生の時、40年近く与党だった自民党が、政権から転落するというダイナミックな出来事が起きました。1993年のことです。それ以前も政治には関心を寄せていましたが、それがきっかけで、政治報道を通じて政治をウォッチすることにとても関心が高まりました。政治記者を志した強い動機の1つですね。私の同期は、政治部に配属された人数が他の期と比べてかなり多いのですが、彼らも私と同様に影響を受けていました。

ーー就職活動時代はマスコミ業界を志望されていたんですか。

そうですね。大学2年のその時点から、基本的にメディア1本で考えていました。記者としてのくくりの中で、主に新聞社、テレビ局、さらに通信社を考えていました。やはり、日々のニュースを追いたいという思いでした。

ーーその中で、なぜ共同通信を選ばれたのでしょうか。

報道一筋でいられる点に魅力を感じました。例えば、テレビ局では、報道を志望していても、バラエティーや営業など記者以外の部署に配属される可能性もありますが、共同通信ならその心配がありません。

また、日本のメディアの中でもトップクラスの取材網が世界中にある点にも惹かれました。いずれは海外でも働きたいと考えていたので、実現できるのではないかと考えました。

国会内にて

政治ダイナミズムの目撃者に

ーー共同通信で約20年、記者を務められたということですが、取材先から興味深い話を引き出すために意識されていたことをお聞きしたいです。

相手の趣味や嗜好を事前に調べて、それに沿った話題を振ったり、自分との共通点を見出してその話に落とし込んだりすることでしょうか。やはり相手も人間なので、仕事の話だけだと疲れます。

雑談から始めると、やはり人と人との距離は縮まるんですよね。結局大事なことは、普段から取材相手との距離を縮めて、いざという時に肝心の話を聞けるかどうかだと思っています。例えば仕事の話を聞きたい時も、まずは、「昨日野球は〇〇が勝ちましたね。」「いや、あいつホームランはすごかったな。」「本当ですね。ところであのことなんですけど…」と仕事の話に入っていく。他の記者には話さないことも、「同じ趣味の話で盛り上がっているこの人にだったら少し話してもいいかな」と、相手に思ってもらえます。

ーー政治部では、他にどのようなことを意識されていましたか。

できるだけ、取材対象となる政治家のところに顔を出すことです。早起きして、 政治家が出勤して車に乗り込むところに顔を出す。 国会議事堂の中にも、顔を出す。夜も、帰ってくるのを待つと。そうすれば、関心を持ってもらえると同時に顔を覚えてもらえます。早起きして夜遅くまで、日々奮闘していました。

ーー2005年には、小泉純一郎元首相の番記者も経験されているんですよね。

その年は、郵政民営化をめぐる激しい動きがありました。2005年5月に地方支局から、本社政治部に異動となりました。駆け出しの新米・政治記者が、まずはじめに担当するのは最高権力者・日本国総理大臣の番記者というのも、ギャップがあって、多くの人に意外に思われます。郵政民営化をめぐる政局が次第に激しくなり、総理番として歴史的な瞬間を見られるのではないかと、の期待はありました。実際、参院で関連法案が否決されたのに衆院を解散するという、政治の常識ではあり得ないような衝撃的なことが起きたんですよね。

小泉元首相とは、その後も関係を築かせていただいています。2016年には、単独インタビューに成功しまして、それは強い思い出として残っています。

ーー長年、政治記者を続けられたモチベーションは、つまるところ何だとお考えですか。

日本政治で起きているドラマに最前線で立ち会えるということです。目の前で動こうとしている、動いている事態をいち早く、国民の皆さんに伝えることができ得る立場にいられることは、モチベーションの一つでした。

また、時期にも恵まれたと思っています。私が政治部の時、再び自民党が政権から転落し、3年3カ月後に奪還しました。その前後で、毎年総理大臣が変わるなど、政治がめまぐるしく動いた時期でした。そうしたことも、モチベーションを支えてくれました。

ーー政治の醍醐味とは何でしょうか。

政治は、正解が一つではありません。議論を重ね、物事を決定していく過程には、様々な変数がかかります。いわゆる「今後の読み」を探り合うことは、醍醐味の1つです。例えば、刑事事件だと「容疑者を逮捕する」というように、正解は固まっています。しかし、政治の場合は決してそうではありません。様々な人が研ぎ澄まされた政治技術を織りなすことによって、最終的に1つの答、政治的な結論を打ち出していくという点に面白さがあります。

海外出張時の1枚。政府専用機をバックに

家族全員のためになると考え、下した決断

ーー奥様の米国転勤に伴って共同通信を休職されたと思います。ご家族で米国に住むとなった時に、決意した理由としてどのようなものがございましたか。

理由は主に3つあります。

まず1つ目は、渡米は子供にとって貴重な経験になると考えました。当時、子供たちは5歳と3歳でした。そうした年齢で海外に渡り、異なる言葉や文化を知り、外国人として暮らすことは、何ものにも代え難い経験になると思いました。語学習得という点も含めて、国際人として育ってほしいと考えていたので、絶好のチャンスだと思いましたね。

2つ目は、妻のキャリアアップのためです。共働きでずっとやってきましたが、政治記者生活では、平日は夜遅く、週末も出張が多かったので、家事や育児は妻に任せっきりでした。私が好き放題仕事をさせてもらう一方、彼女は出産後は時短で働いていました。そうした中、妻が駐在員になれる絶好のチャンスをつかみかけていた時に、 私が潰す理由は全くないと思いました。今度は、「私が少しキャリアをセーブして、妻を支える段階なのかな」と考えました。

3つ目は、自分のためです。 海外勤務をしたいとずっと考えていたので、自分の仕事で叶わなかったものの、「行かない選択肢はない」と思いました。海外で豊富な経験を積み、 それを数年後、日本に戻って還元できるのであればいいなと。生活者としてアメリカの政治や国を見ることができれば、帰国後、記者として大きな収穫になり、成長する機会を得られると考えたのです。

ーー何か葛藤や迷いはありませんでしたか。

妻から、「駐在は2年間」とあらかじめ言われていました。たった2年間とはいえ、やはり政治の現場から離れる怖さがありました。政治は朝のことが昼には、昼のことが夕方には変わる、有為転変の世界なんですよ。同期もどんどん昇進していきますし、 取り残される感じがありました。当然のことながら、葛藤にさいなまれました。

そのため、やはり決断するまでに悩んだことは事実です。ある時点では、心の中ではほぼ決めていたものの、会社の人や友人、知人など多くの人に意見を聞きました。部長からは、「絶対良い経験だから行った方が良いだろう」と意外な言葉が飛び出してきました。古くからの友人や知人は、軒並み後押ししてくれましたね。

実体験から気づいた、日本とアメリカの違いとは

ーーコロンビア大学大学院で、客員研究員として「米国におけるキャリア形成の多様性」を研究されたとのことですが、なぜこのテーマに取り組まれたのでしょうか。

私の決断に対して、多くの会社同僚や女性を中心とした後輩は応援してくれましたが、一方で否定的な反応もありました。そういう思いも、心の片隅に抱えた中で、向こうに行きました。ですが、現地の人に休職して子供の面倒を見ていることを伝えると、「Great!」「Super!」などと賞賛されたんです。 「君はすごいやつだ」「君にとって絶対素晴らしい数年間になるに違いない」と言ってもらえたんです。

行く前は、アメリカの政治を勉強したいとぼんやりと考えていました。しかし行ってみたら、 日本とは全く異なるキャリア観がアメリカに広がっていました。それならば、男性が女性についてくことがほぼレアな時代にそのような選択をした私だからこそ、このテーマを研究して多くのことを吸収したいと考えました。

ーー特にアメリカでは、多様性を受け入れるイメージがあります。

まさにそうです。色々な人種がいて、色々な考え方があって、色々な価値観がありますが、それぞれがお互いを尊重するんですよね。1人1人がしっかりした意見を持っていて、それを堂々と表明できる国。そこに飛び込んだからには、多様性を研究した方が面白いんじゃないかと思いました。ただ、多様性の反面、米国社会に人種差別は根強く残っています。その点はしっかりと指摘しておきたいと思います。

アメリカは、キャリアに関しても多彩です。例えば政治の話で言いますと、大学教授からホワイトハウスの高官になって、その政権が終わったら、また大学に戻っていく人も普通にいます。そういったことを「リボルビングドア」と言うんですが、キャリアが決して固定されていないんです。

ーー今後、日米それぞれで、記者のキャリアはどうなっていくとお考えですか。

日本もアメリカも、マスメディアを取り巻く状況にあまり違いはないと思います。両国共に新聞の発行は減っていて、ネットに浸食されています。ただ、その状況を乗り越えつつあるのがアメリカであって、どうしようと手をこまねいて、時間ばかり浪費しているのが日本だという気がします。

例として、ニューヨーク・タイムズは、電子化で大成功して読者も増えています。 また、アメリカでは、記者がX(旧Twitter)の自分のアカウントで、特ダネを自由に発信できます。

日本では全くその逆です。今や、ネットでニュースを見る人が圧倒的だと思われますが、新聞やテレビなどのマスメディアがそうした状況に上手く適応できているとはいえません。記者の個人発信も一様に認められているとは言いがたい状況です。

そうした問題の本質に正面から向き合って、対策を一刻も早く講じなければいけないのにもかかわらず、できていないように思います。 新聞やテレビなどの伝統的なメディア、いわゆるレガシーメディアが、先細りしていきかねない状況を非常に危惧しています。

ーー電子版を増やしたり、SNSの個人発信を可能にしたり、日本はアメリカのマスコミ業界を見習うべきということですね。

そうですね。新たなジャーナリズムとして生き残るための切り口をどんどん考えて、それを商業化するということです。最近アメリカから始まった動きでいえば、ファクトチェックといったデータジャーナリズムもあります。

ーージェンダーへの考え方といった観点から、小西様が考える日米の相違点を教えていただきたいです。

やはり、女性の社会進出の度合いが全く違いますね。 毎年ジェンダーギャップ指数が発表されますが、日本は下位で固定しています。 アメリカも決して上位とは言えませんが、少なくとも日本よりは圧倒的に上にいます。それは、女性が働き続けやすい、成長しやすい環境が、政治や経済など幅広い分野で整えられているということです。

そしてその背景には、キャリアに対するパートナーの相互理解が当たり前だという文化があります。その考え方が、日本とはだいぶ違うのかなと思います。日本の場合、「男性は仕事、女性は仕事と家事育児」といった、固定的で硬直的な性別役割が蔓延っていますが、アメリカの場合は決してそうではありません。

ニューヨークで国連総会を取材(2012年)

過去のキャリアを振り返って

ーー小西様が米国時代に執筆されて、特に興味深かった記事は何でしょうか。

日米文化比較ですね。日本にはほとんど伝わっていないであろう、グラデーション豊かな米国社会を紹介する記事です。反響も大きかったですね。

アメリカで日本人の友達と飲みながら話したりして、実は、最も盛り上がるのは日米文化比較なんです。「ウーバーなどのライドシェアはすごく便利なのに、なぜ日本では導入されていないんだ。」「でも、アメリカのこういうところは本当によくないよね。日本の方がしっかりしているよね。」といった話でとても盛り上がるんですよ(笑)。日本で長年書き続けてきた政治の記事から少し離れてみて、キャリアや生活全般などこれまで縁がなかった記事は、書いていて楽しかったです。

ーー複数の観点から、日本とアメリカの違いを発見されたんですね。

そうですね。私自身の視野も圧倒的に広がりました。記者として赴任するのであれば、生活面よりも仕事面の方が頭の比重が大きくなるかと思いますが、私の場合は、生活者として色々な場にアプローチすることができました。

向こうにいる特派員が、気づかないような点にも気づくことができました。そして幸いにして、記事を書かせていただける機会もいくつか得られたので、貴重な経験となっています。

ーー独立された現在、記者時代と比較して、情報収集の仕方は変わりましたか。

書く上でのスタンスが決定的に違うので、情報収集の仕方も変わりました。

渡米前の記者時代は、日々のニュースを捌くのが仕事でした。記者クラブに所属しているような大手のメディアにいれば、ほぼ自動的に情報が入ってきます。「誰が、いつ、どこで、会見するらしい」「誰々がやめるらしい」といった一次情報です。

今は日々のニュースにとらわれずに、短期的、中期的な視点で記事を書いています。現場のリアルな情報というよりは、ヒューマン的な側面の話を書いています。自分で取材することが、情報収集そのものですね。今は一次情報が入ってくる状況にはありません。自分からどんどん情報を取りに行かないと、取れないという状況にあります。例えば政治の話であれば、自ら知り合いの議員や秘書、記者に聞きに行きます。

固定観念を崩していく

ーーこれから数年、注力していきたいことを教えてください。

現在、ジェンダー問題の解消、硬直した性別役割の柔軟化などについて関心を抱いています。2023年の春まで、大学院でそのような研究をして修士号を獲得したんですが、今後は、記事として幅広く書いていく意向です。

アメリカの経験も通じて得た知見ですが、日本では、「男性はこうあるべきだ、女性はこうであるべきだ」と縛られた性別役割があります。結果、女性の社会進出が阻害されていると思います。

それゆえに、「ジェンダーギャップは女性だけの問題だろう」と自分事として捉えていない男性があまりにも多すぎます。この課題が解決されれば、男性ももっと本来の豊かな生き方に近づくわけです。固定的な性別役割の考え方にがんじがらめにされて、無理をしている男性もごまんといると思うんです。そしてそういった男性の奥様ほど、「私は専業主婦しかできないからあなた頑張って」というような人が多いと思います。

その辺の課題を浮き彫りにする記事をどんどん紹介して、 問題提起していけたらと思っています。手始めとして、年明けに、修士論文を大幅に加筆修正した書籍『妻に稼がれる夫のジレンマ ~共働き夫婦の性別役割意識をめぐって~』(ちくま新書)を2冊目の著書として上梓します。

ーー小西様にとって、「キャリア」とは何でしょうか。

キャリアというのは、決して1人のものではなく、共同で形成するものだと思っています。独身時代は、自分の考えた通りにキャリア形成していけばよかったんです。やはり結婚して、仕事を持つ人がパートナーになり、子供もできると、キャリアは自分だけのものではなくなりました。

それは否定的ではなくて、肯定的に捉えています。「キャリアの共同形成」という言葉を大事にしているんですけれども、パートナーとお互いのキャリアをリスペクトして、支え合うことが美しいのではないかと思っています。夫婦間でキャリアを共有する、という感じでしょうか。

例えるとすれば、ジグザグとした、複線的なキャリアです。相手がジグの時は、自分がザグになる。片方が少し多忙な時は、 自分が休んで支えると。男性は仕事、女性は仕事、家事、育児だなんて、私はもう全く考えていません。男性も女性も、それぞれが働きながら、家事や育児に取り組むのです。

ーー「キャリア」には、仕事以外の要素もあるんですね。

「キャリア」とは、人の生き方そのものなんです。日本では、「キャリア」は仕事だけと受け止められる側面があまりにも強く、若干異なる捉え方をされている気がします。でも、そうではありません。仕事だけではなくて、休むことも、主夫(婦)になることも、大学院に行くことも、全てキャリアなんですよね。

小西一禎

1996年、新卒で共同通信社に入社。9年間の地方勤務を経た後、東京本社政治部記者として総理番や自民党等を担当。2017年、妻の米国転勤に伴い、会社を休職して家族全員で米国に移住。2019年、コロンビア大学大学院で客員研究員を務め、「米国におけるキャリア形成の多様性」を研究。2021年に帰国。2023年現在は独立し、各メディアで記事を執筆中。

聞き手&執筆担当

吉田陽香

株式会社クロフィー インターン
早稲田大学国際教養学部

編集後記:政治やジェンダー、キャリアに関心がある私にとって、これらの分野に精通している小西様からお話を伺えたことは、大変貴重な機会となりました。特に印象に残っているのは、日米比較のお話です。実際現地で生活されていた方が発する言葉だからこそ説得力があり、ジェンダーやキャリアに対する日本の課題と、自身の思い込みを痛感させられました。小西様は日本での記者とアメリカでの生活者を両方経験されていて、まさに「キャリアの多様性」を具現化されたような方だと感じました。自分のキャリアが、これからどう形成されていくのか楽しみです。

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