「大好きを言葉にする」ーー販売員・広報・ライターを通じて大切にしてきたPR活動の軸

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秋葉原のPCショップ販売員、エイサーの広報担当を経て、現在はPRプランナー兼フリーライターとして多方面で活動している砂流恵介(スナガレ ケイスケ)さん。常識にとらわれない自由な発想力を活かしたPR活動や、持ち前のフットワークの軽さから得た体験など、ついつい聞き入ってしまうエピソードが尽きない。今回、インタビューを通して、常に「面白さ」を追求する姿勢や大好きなものへの情熱が伝わってきた。(聞き手:児玉理紗  連載企画:学生が迫る、メディアの担い手の素顔)

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常識を疑って生まれた奇策

——新卒で秋葉原のPCショップ『ドスパラ』に入社されていますね。当時、集客のために様々な奇策を試されたそうですが、その中で一番効果があったものは何ですか。

秋葉原で働いていた頃、ディープインパクトという競争馬が一世を風靡していたのですが、12月の人気レース『有馬記念』で引退することになっていたんです。有馬記念の当日は丁度クリスマスシーズンですから、店の前には大勢の人が歩いていました。みんな有馬記念を観たいだろうなと店の入り口に大きい液晶モニターをたくさん並べて、「皆さん有馬記念観たいですよね!」とお店の外でマイクで叫んだんです。スマホなども全然ない時代で、速報をすぐ見ることもできないので、大勢集まってくれました。

ディープインパクトが勝っても負けてもセールしようと決めていたのですが、見事に勝ったんですよ。その瞬間に、SDカードを赤字で売りました。みんなテンション上がっている状態で、どう考えても安いものが目の前に出されたので、購入者が物凄く増えるんです。長蛇の列ができて、店の外にレジを出してお会計をしました。それでパソコンも売れて、売上も上がりました。勝手に赤字で売ったことについては本社やメーカーさんから怒られましたけど、それが一番売上に結び付いて、大勢のお客さんが並んでくれた出来事です。

その他には、店のスタッフに週末限定で商品の値段を好きに決めてもらっていました。当時、スタッフに「あなたはパソコン番長」「液晶モニター番長」と指名する番長制度を導入していたんです。その制度を生かして、赤字にしてもいいので自分の担当商品に好きな値段を付けて、その代わりに売上目標を決めてもらいました。かなり自由に値付けしてたのですが、ここは他の店と全然違う点だと思います。

——思い切ったことをされますね。

実は、私がいた店はずっと赤字店舗だったんです。秋葉原の一等地にあったので、売り場面積が3倍の他店よりも家賃が高いことが理由でした。だから、1000万円くらい売らなければならない時に1100万売っても赤字のままなんです。3000万、4000万円くらい売らない限り黒字にならない。普通のことをやっても全然ダメなんです。自分たちが考えられることはほぼやったのですが、売上が上がらなくて。「どうしよう」となった時に、これはもう常識を疑ってやるしかないという答えになりました。

例えば、店のレイアウトを変えるとしたら、普通は店が閉まってからしますよね。それを「どうして閉店後に残業してやらなければいけないんだろう。昼間にやればいいじゃないか」と営業中に行いました。他にも、アニソンばかり流れていた秋葉原にテクノやハウスの音楽をガンガン流したり、大量のプーさんのぬいぐるみを置いてみたり、ハンモックをかけて大きなイルカの浮き輪を置いてみたり、アイドルの卵の子たちとイベントをしたこともあります。そんな風にめちゃくちゃなことをやっていたら、たまたまそれが奇策と呼ばれ始めました。

ただ、「どうしていらっしゃいませと言わなければいけないんだろう」と挨拶しなかったり、「どうして店員はガムを食べてはいけないんだろう」とガムを噛みながら接客したり、失敗したこともたくさんあるんですよ。

——失敗をしても諦めることはなかったのですか。

それが、赤字だったから良かったんですよね。失敗してもこれ以上悪くなることはないので、失敗したら失敗したでいいか、成功したら取り入れようという感じで色々なことを手掛けていました。その結果、秋葉原でも「あの店すごく異質だな」「なんか面白いことやってるな」と思われるようになりました。それだけ自由にやらせてもらえる環境だったので、楽しかったです。

師匠を決めて学ぶ

——エイサーに入社されたきっかけは何ですか。

店が黒字になって半年程後に、大阪に行って欲しいという話になりました。でも、東京が好きだったので、大阪に行ってまで同じようなことはしたくないと思い、翌日に辞表を出しました。そうすると、営業でずっと店に来て下さっていたエイサーの方が、「うちに来ないか」と誘って下さったんです。他にもお仕事のお誘いをいただいたのですが、しばらくはゆっくりしようと思っていたので全て断っていました。そしたら、エイサーだけ店にもう一度来て下さったようで、店から電話がかかってきて。「これはさすがに連絡しなきゃいけないな」と連絡したら、面接することになりました。面接相手は社長で「いつから来られるの?」と訊かれたんです。その瞬間、入社が決まりました。

入社後に分かったことですが、20代前半は私しかいませんでした。エイサーは当時まだ小さかったので、即戦力のある人しか雇っていなかったんです。それでも採用して頂いたのは、若いのにパソコンに物凄く詳しい人間が面白かったのだと思います。9月15日付で辞めて10月1日入社だったので、のんびりしようと思っていたにも関わらず、スピード転職になってしまいました。

――エイサーに入社されてから、『博報堂ケトル』を設立された嶋浩一郎さんと、ネットニュース編集者の中川淳一郎さんに出会って、お二人を師匠としてPRについて学ばれたそうですが、どのようなところに惹かれたのですか。

中川さんは、『ウェブは馬鹿と暇人のもの』という本を出版されていたことがきっかけで知りました。インパクトのあるタイトルに惹かれて読んでみたら、当時のインターネットのことを凄く的確にかつ面白く捉えられていて、ぜひ一緒にお仕事がしたいと思うようになりました。

中川さんは博報堂出身ですが、たまたまその時に博報堂さんと仕事をしていたので、中川さんのイベントに行くことになり紹介してもらいました。「一緒にお仕事したいですね」という話で盛り上がっていたら、その2週間後に本当に提案に来てくださって。それがものすごく魅力的で、どうにか上司と社長に通してイベントをやりました。そこで中川さんにも嶋さんという師匠がいることが分かりました。嶋さんの話を聞きに行ってみたら、PRに関する内容だったのですが、これがまた面白くて。中々ないじゃないですか、仕事の話が面白いなんてこと。勉強にもなるのですが、話自体に引き込まれて、もっともっと聞きたいと思いました。

当時は中川さんと嶋さんが一緒に様々なイベントに出られていたので、告知を見逃さない限りは全て行きました。嶋ゼミという若手のPRパーソンを育てるゼミには、一期生として参加しました。中川さんは毎週ゲストとして来られて、そこでお二人からPRについて沢山聞いて、師匠として追いかけました。私も色々な場所でPRの話をしますが、スライドの一番初めは必ずお二人の紹介からです。

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(中川さんが唐津へ移住される日に駆けつけた砂流さん)

——今でもお二人とは交流があるのですか。

中川さんとは今でも仲良くさせて頂いています。中川さんの記事に私が登場することもあります。現在は佐賀県に移住されていますが、移住のタイミングで「砂流さん、うちの家引き取りませんか」ってお声掛けして頂いて、急遽引っ越しました。私には広すぎるかと思ったのですが、そんな機会は中々ないので引き取らせていただくことに決めました。

——嶋さんと中川さんという特定の方を追いかけていらっしゃいますよね。色々な人の話を聞くことよりも、特定の人を一筋に追いかけることは重視したのは、なぜですか。

PRは物凄く幅が広いんです。様々なことをPRとして取り組めるのですが、幅が広い分皆さんそれぞれに流派や型を持っておられます。その型をつまみ食いしていくこともできますが、一つに絞って深掘っていった方が理解が早いと思うんです。全てを学ぶことや盗むことはできないかもしれませんが、ずっと話を聞いていると、これは嶋さんっぽい考え方だなとか、これは中川さんっぽいというのがなんとなく分かる瞬間があるんです。実際に私がエイサーでプロモーションやPRに関わっている時、お二人から学んだことが活かせたと感じることが多々ありました。

師匠を決めることで、何かに迷った時も「この人ならこう言いそうだな」ということが頭の隅に思い浮かんできたりします。「これがいい」「これはいけない」という判断基準ができるんです。あまり広く話を聞きすぎても、結局どれを参考にしていいのか分からなくなるので、仕事やスキルを身につける時は参考にする人や深掘る型を決めるのが良いと思います。映画『スター・ウォーズ』に登場する、ジェダイの師弟関係のような感覚ですね。

お笑いも無職もPRになる

——エイサーに入社後も、自ら色々な奇策を提案されていたんですか。

エイサー時代は関わる人が多いので、全てを私一人でやったわけではありませんが、プロジェクトで奇策らしいことはさせて頂きました。中川さんと最初にさせて頂いたのが『ザ・エンタのニコニコカーペット』という企画です。2010年に『エンタの神様』『ザ・イロモネア』『レッドカーペット』という三つの有名なお笑い番組が全部終わりました。ネタ見せ番組がなくなり、芸人さんがテレビでネタを披露することができなくなったんです。

そこで、テレビがダメならネットでやればいいじゃん、という話が出て。発案は中川さんと博報堂さんで、私の役割は社内に通すことでした。その後、ニコニコ動画などの配信をしている会社のドワンゴさんに企画を持っていき、エイサーがスポンサーのお笑い番組をネットで放送することが決定しました。

この番組では、エイサーでダジャレをするCMも作成しました。お笑い番組なので、普通に「エイサーのパソコンを買ってください」と言うより、お笑いっぽい方がいいんじゃないかということになったんです。ニコニコ生放送で配信するので、ユーチューブにコメントを投稿するように盛り上がってくれたらいいなと思いました。

例えば、軍人さんが「Yes, sir !」と言っているところに『acer 』というテロップを出しました。それも、よく聞くと、教官が英語で「お前は幼稚園生か」みたいなことを言っているんです。一見くだらないダジャレに思えますが、お笑いよりもCMの方がずっと面白いんじゃないかと言われるくらい盛り上がりました。提案された企画を通す側になったのがエイサーの時です。

——企画を社内に通す時には、どのようにアピールされていたのですか。

かなり無理矢理な方法で企画を通していました。今振り返ると反則すれすれというか、上司からすると気付かないうちに企画の承認をしていた、ってくらい他のものに紛れ込ませていたりしましたね。

とくに、英語で『acer』という文字をひっくり返してみると『jace(ジェイス)』に見えるという、ニコニコ超会議で流したCMに関しては、社長や上司にプレゼンするタイミングや方法を物凄く考えて企画を通しました。詳しくはここでは言えないので、読者の方々は直接僕に会った時とかに聞いてみてください。

——エイサーを退職された後はどのようなPR活動をされてきましたか。

ベンチャー企業のPRや、企業の方と一緒に商品をネットでPRする際の切り口を考えたり、宇宙ベンチャーに携わったりもしました。結構何でもやっていますね。

退職した直後は無職PRをやって、自分自身もPRしました。当時30歳でしたが、29歳だと若そうで、31歳だと悲壮感が出そうな気がしたので、丁度いい年齢だと思いました。無職で有名な人はそういなので、瞬間風速的に無職で有名になれると思ったんです。それで、ハローワークに行く様子を面白おかしく取材して貰いました。すると、「あの人が無職に?」とちょっとざわざわする訳です。

さらに当時、有名なフリー素材モデルの大川竜弥さんが無職を名乗っており、先輩無職だったのです。そこで、ベテラン無職の大川さんとルーキー無職の私でマーケティングについて語るイベントをしました。そのように積極的に無職アピールをしていたら、「無職ならこれやらない?」という声掛けをどんどん頂くようになって、そのままフリーランスとして今に至ります。

大好きは言葉にする

——現在は様々なメディアで執筆やPR活動をされていますが、一日に何本程度執筆されますか。

そんなに本数を書けるライターではないので、一週間に2本、3本くらいです。

——執筆以外は何をされていますか。

動画で記事を作ることもありますし、公式カメラマンとしてライブ写真を撮ることもあります。あとは、編集の仕事もしています。

以前から趣味で一眼レフカメラを持っていましたが、本格的にフリーランスで仕事をする際に、記事に載せる写真を撮るためにより性能の良いカメラを買いました。その後、『JUDY AND MARY』のギターリストのTAKUYAさんに付いて色々な現場に行き、多くの写真を撮るようになりました。それが凄く楽しくて、ライブ写真を撮るのに夢中になっていきました。機材やレンズを揃え、カメラも買い替えて、他の友達のライブも撮っているうちに、「良い表情撮れてるね」と声をかけて頂いて公式にお仕事の依頼を貰えるようになりました。

編集は、ライター7〜8年目頃、私が記事のオファーをする機会も増える中で、「それを編集業務としてメディアの中でやりませんか」と声を掛けて頂いたのがきっかけです。業務内容はライターと近い部分があるので、実際に編集の方とやり取りをする中で良いと思ったことを真似しています。

フリーになって活動の幅は物凄く広がっています。エイサーにいた時には経験していないことができるようになりました。

——これから新たに挑戦したいことはありますか。

私の場合、自分自身が何かやりたいというより、周りの方が「これできそうじゃない?」と仕事として振ってくれたり、趣味でやっていたことを「仕事としてやってみない?」と誘われて仕事になっていくことが多いんです。誰かに「それできそうだよね」とか「結構上手いよね」と言われると、意識して、仕事になればいいなと思って動き始めたりはします。

——色々な方から声をかけて頂いて活動の幅が広がっていくのですね。

そうですね。私は好きなものは好きとはっきり言っています。例えば、スプラトゥーン2というゲームが大好きなので、会う人会う人にスプラトゥーン2の魅力を語りまくっていたことがあります。攻殻機動隊というアニメも凄く好きで、それを口にしていたら、攻殻機動隊のプロジェクトでメディアの人として仕事をさせて頂くこともできました。好きと公言しているものに対しては、「好きなんだったら」と声を掛けて下さることが多いので、好みをアピールするよう意識はしています。

フリーランスになる前から、仕事がきっかけで次の仕事や新しい出会いが生まれることも多かったんです。『ザ・エンタのニコニコカーペット』で優勝したアメリカザリガニというお笑いコンビの平井善之さんとは、今でも一緒にニコニコ生放送やユーチューブでゲーム実況をやらせてもらっています。もう10年以上の付き合いで、冗談混じりで師匠と呼ぶ程仲良しです。

行ってみることでサプライズがある

——人間関係からキャリアを形成されてると感じますが、何か意識していることはありますか。

私、物凄く身軽なんです。TAKUYAさんと一緒に中国の北京で一週間、世界中のミュージシャンの方々と音楽を作るコライティングキャンプに参加しました。それも、誘われて一週後くらいに行っているんです。英語も全然話せないし、泊まる場所もプログラムの内容も分からない状態なのに。ノリでどこでも行くので、誘いやすいとは思います。

佐賀県庁からワ―ケーションに誘われた友人に、その一週間程前に声をかけて貰って佐賀県に行ったら、県知事に表敬訪問ができたこともあります。驚きましたが、行ったら何かしら出会いがあるだろうとはいつも思っています。

台湾も好きで、ポケモンGOというスマホアプリのイベントに自腹で行ったりもしました。イベントの告知が1、2週間程前で、そこからフライトを取るので高いし、ホテルは現地で決めます。記事を書いても、収支計算すると大赤字なのですが、ジョン・ハンケさんというナイアンティックというポケモンGOの制作会社のCEOが、なぜか日本語の僕のレポートを英語でシェアしてくれて。日本ではそれほどでもなかったのですが、英語圏ではバズりました。

何も得られないことや失敗することもありますが、サプライズは行かないと体験できないし、行って体験したことが一番体で覚えられます。

ブルータス編集長の西田善太さんがよく、「自分で汗をかきなさい」という話をされているんです。「ネットで何でも知識が手に入る時代に、簡単に知識を手に入れてなんとなく分かった気になるんじゃなくて、実際にそこに行って体験して汗かいて来なさい」と。本当にその通りだなと思います。

——お仕事もあまり断らないのですか。

仕事もほぼ断らない方だと思います。でも、「この商品って本当に良いのかな」と疑問に感じる案件は全く受けません。実際、商品を提供する代わりにレビューして欲しいという依頼は多いですが、基本的に返事はしません。仮に返事をしたとしても、良いことばかり書けないし、記事にしない可能性もあるとはっきり言っています。

ライターとしての活動軸

——現在フリーランスとして活動する中で、自分の軸になるものは何ですか。

大好きという感情を大切にしています。中川さんも、嶋さんも、平井さんも、TAKUYAさんも、エイサーやお手伝いさせて頂いている企業もそうですが、やっぱり大好きなんです。そういう大好きなものをきちんと言葉にして伝えたり、PRの仕事だとそれを世の中に知って貰うためのプロモーションや企画を考えます。ライターの場合は、商品を使ってみて凄く良かったから話を聞いて欲しいという気持ちで記事を書いています。だから、私の記事はテンションが高いものが多かったり、この会社が、この商品好きですとはっきり書いていたりします。そういうことを伝えるよう努力しています。

——コロナ禍で仕事や発信する内容に変化はありましたか。

仕事の内容に変化はありませんが、外に取材に行けなくなったのは大きな変化です。これまでは、お酒の場で色々な人と話して、様々な年代の人の今の感情や好きなんものを学んでいましたが、それもできなくなりました。その分、仕事で少し見ていたユーチューブをがっつり見るようになりました。情報摂取のために2倍速で見ることもありますが、好きなユーチューバーさんができると、純粋に好きだからという理由で毎日見てしまいます。

また、書くということに対して、去年はレビュー記事が大きく増加したと思っています。ライターでなくても、この商品がいいということを発信した人が大勢いました。例えば、一般の人やユーチューバーさんだと家の中で使う家電、ライターさんだと普段使っているパソコン周りの物などを紹介されて、実際にそれを見て商品を買った人も多いと思います。その変化はすごく感じています。

——仕事がやりにくくなったことはありますか。

私自身はやりにくくなったとはあまり感じていませんが、「気をつけなければいけないな」という気持ちは常に持っています。大好きなものは大好きと言いますが、そればかり伝えていると、「この人全部の商品好きじゃないか」という話になりかねないからです。何に対しても「この商品お勧めです」と言ったり、似たジャンルや10万円を超える商品を安易に勧めたりしているとどんどん信頼を失うと思います。「新しい商品が出るたびにこれ最高と言っているけど結局どれが最高なんだよ」と突っ込みたくなるんです。そういう記事にならないように気を付けています。

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(スーパー・ニンテンドー・ワールドを取材した時の砂流さん)

——コロナ禍やSNSの発達によって、ライターさん以外の人が発信やPR活動をする時代になっていますが、プロの立場で大切にしていることはありますか。

当たり前ですが、丁寧に書きます。そういう当たり前のことをどれだけやれるかが大事だと思います。あとは、私の場合は切り口です。例えばiPhoneをレビューするとなると王道パターンがあって、みんなやることは割と決まっています。でも、私は王道パターンは使わないタイプです。じゃあ、それをどのように紹介したら面白いかとか、どうすれば届けたい人に届くかということはしっかり考えます。

iPhoneが欲しいと思ったときに、専門家からお勧めを聞くよりも、普段見ているタレントさんやユーチューバーさんで年齢が近い人が実際に自分で写真を撮って比較していたり、こんな加工だとこんな仕上がりになるよという風に、自分と近い目線でレビューされてる方が参考になると思うんです。今の時代は昔と比べて自分目線のレビューを簡単に探せるし、そっちの方が響くと思っています。だから、それとは違う形の切り口にしないといけない。誰に向けて、どのような内容で、型にはまらないようなもの作るかを結構考えています。

最近だと、USJのマリオのスーパー・ニンテンドー・ワールドに行きましたが、その話を頂いてすぐにやったことがオーバーオールを買うことだったんです。若い女性リポーターや他のメディアと差別化するためと、スーパー・ニンテンドー・ワールドの楽しさを伝えるにはマリオの格好をするのが一番だと思いました。その上で、私の場合は色々なカメラやガジェットを持っているので、それを使って何をやろうか考えます。例えば、みんなが持ってこないだろう360度カメラで撮影したりしました。他には、グッズを自腹で3万6000円分程購入して紹介しました。これは本当にマリオが好きでなければできません。

好きだからこそできることをしているうちに、それが差別化や個性になっていきます。文章で面白いことを書こうとはあまり思っていなくて、切り口をどうするかを考えるのに時間をかけます。それが、ライターとして大切にしていることです。 砂流のポートフォリオ メディアの担い手のための審査制プラットフォームChrophy(クロフィー):ポートフォリオ作成からAI文字起こしまで chrophy.com

砂流恵介
秋葉原のPCショップ販売員を経て、日本エイサーで宣伝・広報を担当。2014年に独立。手段を選ばないゲリラ的なPRを得意とし、企業のPR業務に携わる。現在は、様々なウェブメディアでライターとして執筆をする他、ゲーム実況番組のMCや動画ライターとしても活動している。過去記事のポートフォリオはこちらから。

聞き手&執筆担当:児玉理紗
株式会社クロフィー インターン
滋賀大学教育学部2年

インタビューを終えて:インタビュー前に、秋葉原のPCショップでの数々の奇策についてご自身で執筆された記事を読み、ただ型破りで面白い方を想像していました。しかし、実際にお話を聞いてみると、しっかりと自分の生き方の軸をお持ちだと感じました。特に、好きなものは好きと言葉にする、とりあえず行って体験してみるという姿勢は、私も実践していきたいと思いました。

本連載企画について:記者ら、メディア関係者のための業務効率化クラウドサービス『Chrophy』を開発する株式会社クロフィーでは『学生が迫る、メディアの担い手の素顔』と題した本連載企画を行っております。編集は庄司裕見子、サポートは土橋克寿
ご質問などございましたら、こちらの問い合わせフォームよりご連絡願います。また、弊社のインターン採用・本採用にご興味を持たれた方は、こちらの採用情報ページよりご連絡願います。

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