【データ分析取材の裏側】毎日新聞、週刊ダイヤモンド、ハーバード・ビジネス・レビューで磨いた武器とは?

毎日新聞記者や週刊ダイヤモンド編集部を経て、現在はハーバード・ビジネス・レビュー編集部の副編集長と、様々なメディアの仕事を経験されてきた小島健志さん。人とは違う戦い方を追求した結果、強みになったのはデータ分析だった。独自のメディア論から学ぶべきものは多い。(聞き手:児玉理紗 連載企画:学生が迫る、メディアの担い手の素顔)

画像1

(小島健志さん)

メディアの世界へ飛び込む

ーー高校生の頃からマスコミ業界に憧れていたそうですが、大学時代のアルバイトにテレビ局を選んだのはなぜですか。

大学のポータルサイトのアルバイト募集に応募したのがきっかけです。高校生の時にバンドをしていたので、音楽番組などのテレビの世界に興味がありました。軽い気持ちでテレビ局のバイトを始めたら報道系で常に緊張感がある現場でした。携わった「朝まで生テレビ!」は、ジャーナリストの田原総一朗さんが司会をしている討論番組です。有名な政治家を輩出する番組だと言われており、現内閣府特命担当大臣兼国務大臣の丸川珠代さんが当時、アナウンサーとして隣にいたり、元東京都知事の舛添要一さんが出演していたりしました。番組プロデューサーの日下雄一さんは、テレビ朝日の「ニュースステーション(現報道ステーション)」の立ち上げメンバーで、田原総一朗さんが最も信頼するプロデューサーとも言われていました。雲の上の存在で、一学生が簡単に接触できる人ではありませんでした。

ところが、大学2年生の時に、日下さんが立教大学で政治とメディアに関する授業を持つと聞き、面白そうだと思ってその授業に潜ったのです。日下さんはとても忙しい方でしたが、アルバイトをしていると知って声をかけてくれました。次第に立教大学の熱心な学生とも仲良くなり、授業の後に日下さんを囲むようになりました。

そんな中、私塾のようなものを開きたいというご希望があったので、朝生の番組スタッフや立教大学の学生、知人を集めた十数人規模で、六本木で月に2回程の勉強会を開くことになりました。政治家や経済学者、ジャーナリストなど様々な方をお招きして直接話を聞くうちに、この方面に進みたいと思うようになったのです。

しかし、テレビは様々な番組がある「総合デパート」のようなもので、仮に局員になれてもずっと同じ職種で働けるとは限りません。日下さんも報道ディレクターとしてスタートしたわけではなく、最初は情報系やバラエティー番組のディレクターもしていました。

また、当時、週刊朝日の元編集長の川村二郎さんに文章を教わる講座を受けており、新聞の世界について知るようになり、総合デパートよりは報道の専門店である新聞社に進み、報道記者になりたいと思いました。

人とは違う戦い方をしたい

ーー最初の就職先は毎日新聞社ですが、「幹部の家に張り付いて取材をして、一緒に飲んで情報を引き出す」という事件記者のやり方が自分に合わなかったそうですね。

全国紙では最初に地方の支局に勤務することになっており、私は鳥取支局に配属されました。新人記者は事件、経済、政治、スポーツなどの持ち場のうち、主に事件を担当しますが、鳥取支局は全国的にも最も小さな支局の一つでしたので、事件から、政治、経済、催事の取材まで、何でもやりました。

事件取材では、取材対象の出勤前と出勤後を狙って夜中も朝も取材先に行き、家の前に張り付くという「夜討ち朝駆け」を行います。警察署や幹部の家にも行きました。

事件が起きると各新聞社の記者が集まりますが、みんなで取材するのではなく、各々が取材します。時に「幹部が家に帰るまでのこの1mは私にインタビューさせて下さい」という取り決めをすることもあります。取材相手も情報の出し方を考えるので、そう簡単にスクープは取れません。その中で、共同通信の記者がスクープを取りました。その記者は普段夜回りをしていないので疑問に思っていたところ、情報提供元は逮捕された被疑者の弁護士だと分かりました。「やられた」と思いましたね。警察を回らなければいけないと思って、弁護士は誰も当たっていなかったのです。そこで、違うルールで攻めればいいのだと気づきました。そもそも、不審者に間違われてまで夜中に立つなんてやりたくないですし、極めて非効率的だと思っていたので、私は違う戦い方をしたいと思いました。

ジャーナリストで評論家の立花隆さんは、田中角栄元首相を退任に追い込んだスクープを『田中角栄研究』という本にしました。このネタは、腕のいい政治部記者なら全員知っていたにも関わらず、確固たる根拠がなく誰も書けなかったと言われています。では、なぜ立花さんが書けたのかというと、土地の所有者や権利者を記した登記簿という公の資料をひたすら洗って、お金の流れを丹念に追ったからなのです。私自身も事件の現場で体力勝負をするのが得意ではなかったですし、警察官や政治家と仲良くなって情報を引き出す取材が得意なタイプでもなかった。他にもやり方があると考え、ない頭を使うようになりました。

ーー自分の強みがデータだと気づいたきっかけは何ですか。

新聞記者をしていた頃から、県庁で財政資料を見るのが苦手ではなく、どのように予算案がまとまるのかを注視していました。予算案とは、将来の税金の割り振りを示すものですから、資料をよく見るとおかしな予算や面白い予算を見つけることができ、それをニュースにできました。また、情報開示という誰でもできるプロセスを踏むことで思わぬネタが見つかることもありました。警察や教育委員会に情報公開請求すると懲戒処分案件やその理由が分かり、それらも重要なニュースになりました。

実は、データが自分の強みになったのは週刊ダイヤモンド編集部への転職後で、データ分析せざるを得ない環境があったからです。週刊ダイヤモンドは創刊以来、その主義主張をデータで語るという「そろばん主義」を掲げており、データ分析を重んじています。そこで一般の取材手法とデータ分析とを組み合わせる記事のつくり方で徐々に成果を上げていきました。ですが、母の末期がんと妻の妊娠の発覚が重なった時期がありました。週刊誌には表の取材と裏の取材があります。裏の取材は、夜の会食や休日にキーマンとこっそり会ってネタを集めることをいいます。中には「夜回り」「パトロール」と言って、毎日銀座の飲み屋を2〜3軒歩く週刊誌記者もいるほどでした。

しかし、母は何度も病院に運ばれるし、妻の妊娠のケアも必要だったため、睡眠時間3〜4時間の日々が1年ほど続きました。仕事は昼で精一杯で、夜の取材や飲み会に行けなくなりました。この時、十分に仕事ができない焦りから、記者としてある種のアイデンティティクライシスに陥りました。唯一出来たのは、夜中に財務諸表を読んで不審な点を探したり、エクセルでデータをまとめたりすることでした。それでも、成果が一定に出ましたし、鳥取での経験や立ち話の存在も後押ししたと思います。これまでこうせねばならないと思っていた取材手法を止めたことで、データ分析の力を磨くことができたのです。

画像3

(最近の仕事風景)

ダイヤモンド社でデータを極める

ーーダイヤモンド社に転職を決意した経緯は何ですか。

いくつかの要因が重なったと思っています。ダイヤモンド社に新卒入社した、私塾の勉強会メンバーの一人が誘ってくれた上、ダイヤモンド社の尊敬する方が熱心に声をかけてくれました。最初は断っていましたが、「待っています」といって1年程も待って下さいました。就社3年目の若手記者にそこまで言ってくれる方々はそうはいません。とても有難かったです。丁度、結婚を決めた頃で、転勤族の新聞記者を辞めて東京を拠点に経済の専門性を磨きたいとも思っていたので、タイミングも良かったです。こうして、週刊ダイヤモンド編集部の記者としてダイヤモンド社に入社しました。

ーー現在いらっしゃるハーバード・ビジネス・レビュー編集部は具体的にどのような編集部ですか。

「ハーバード・ビジネス・レビュー」という、ハーバード大学経営大学院を母体としたビジネスリーダー向けのマネジメント雑誌の翻訳を行っています。翻訳だけでなく日本の読者が読みやすいようオリジナルの論文も取り入れています。特集ごとにその分野に精通した日本の研究者に寄稿を依頼したり、経営者や著名人にインタビューしたりしています。週刊ダイヤモンド編集部では週刊誌の記者として記事を書いていましたが、ハーバード・ビジネス・レビュー編集部では編集者として出版書籍に関わったり、雑誌の編集をしたりしています。今は副編集長ですが、インタビューの際には自分で記事を書くこともあります。

ーー入社後にデータに関する様々な資格を取得されていますが、仕事と資格の勉強はどのように両立していましたか。

難関資格というわけでないので、実は資格自体にはそこまでの価値はないと思っています。ただ、取得したのは全て30歳を過ぎてからで、学ぶこと自体に価値を感じています。やはり、10年、20年経つと、これまで当たり前だと思っていた多くが変化します。「アンラーニング」という言葉のように、学び直しの意味でも資格を取り始めました。両立のためには、とにかく時間をつくることと環境を整えることの2点に尽きると思います。一緒に学ぶ仲間も大事ですし、勉強を仕事の中に入れてしまうのも一つの手です。例えば、データ分析は一人でやると苦しいので、週刊誌でデータ分析の特集をして仕事の一つにしていました。辛いと感じないように、自分が気持ちよく勉強できる仕組みや環境を整えていました。

ーー具体的にどのように時間を作っていましたか。

あらゆる空き時間を使っていました。子どもが寝た後に勉強したり、通勤時間や散歩をしている間に耳で聞いたりしていました。無理せず習慣にすること、嫌なことではなく好きと思えることをやることが大切です。コーディングなどの難しくて一人でできないことは、スクールに通ったり、教えてくれる人を見つけたり、取材したりして学びました。

特に感激したのは、慶応義塾大学環境情報学部の教授で、ヤフーのCSO(チーフストラテジーオフィサー)の安宅和人さんの授業です。安宅さんはマッキンゼー・アンド・カンパニーという外資系コンサルティング会社のトップコンサルタントを経験した方で、ヤフーの大事な仕事をしながら大学の授業を持つなど普通はあり得ませんでした。それが、慶応大学で授業をするという情報を耳にし、「私も参加したいです」と言ったところ快諾して下さり、2年程記者をやりながらSFC(慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス)に通っていました。SFCは自宅からかなり遠いので、半日以上も使って通っていたのですが、安宅さんと生で話せたり、ヤフーで使われていたリアルなデータを使ってデータ分析の授業を受けることができたり、貴重な体験でした。

ーーデータについて学ぶのが楽しいから続けられるのですか。

それもありますが、他にやる人が少ないので、成果が出やすかったのかもしれません。。データ分析ができる方は沢山いますが、記者・編集の世界にはまだまだ少ないのです。

以前、「小学校区・教育力ランキング」という特集記事を作ったことがあります。東京都ではどこの区のどの学区の公立小学校に入るかの競争があります。千代田区や文京区などの名門と言われる公立小学校には学区を引っ越してでも子どもを入学させようとする親がいます。教育格差があると考えられ、どこに通うかがとても大事な選択になるのです。実際、文京区の有名学校ではクラスの7〜8割くらいが受験します。周囲がみんな中学受験する環境と、クラスで1人か2人しか受験しない環境では、受験させたい親は絶対前者の方がいいわけです。ただ、小学校の学区域に関するデータがそろっているわけではないので、実際にそれをデータで検証しようと考えたのです。

そこで、40GBに上る国勢調査などのオープンデータを統合・分析し、更に情報公開請求して、学区ごとの世帯年収の推計モデルの作成やデータビジュアライズの手法を用いて記事化しました。案の定、千代田区や文京区の成績スコアが高いことが明らかになりました。記事は、オープン&ビッグデータ活用・地方創生推進機構から「勝手表彰」をしていただき、今でもダイヤモンド・オンラインで会員を集めるコンテンツになっています。

ー一1つの記事を書き上げるのにどのくらい時間をかけていますか?

「小学校区教育力ランキング」は約50本の関連記事を書いており、情報開示だけでも1か月、設計から、データ分析、記事の取材や執筆まで含めると3か月かかりました。また、以前、雑誌で慶応義塾大学の特集を行った時、数か月かけて慶応義塾大学の「三田評論」という学内誌の寄付金名簿をまとめ、どれだけ経営者などの財界が影響力を持ってるのかを調べたこともあります。図書館で10年分くらいの寄付金名簿をコピーして名寄せをすると、この人は実は多額の寄付を出していて影響力を持ちやすい、ということが分かって反響を呼びました。逆に、既にデータがあるランキングの記事なら数時間でできることもあります。

画像4

(コロナ禍での取材現場で行った撮影リハーサル。撮影:鈴木愛子さん)

自分のフィルターを通して生まれる独自性

ーーどのように記事の内容を決めていますか。

まず、世の中の課題を考えます。読者の感じている課題や気づいていない課題、諦めている課題に対し、解決策はないか、記事に出来ないかを考えます。課題を見つける方法は3つあります。

1つ目は、自分というフィルターです。自分の心の動きをビビッドに感じる、つまり何が嫌だったのか、何に心を動かされたのかを意識することです。自分が課題に感じていることが一番書きやすいですが、それが自分一人の問題なのか多くの人の問題なのかは考える必要があります。

2つ目は、身近な人です。例えば、私の妻がコロナ禍で頻繁にYouTubeを見るようになったり、子どもが「あつまれ どうぶつの森」のゲーム内で友達と繋がろうとしたりするのを横で見ていると、明らかに社会の需要の変化を感じます。その理由を考えることでヒントが見えてきます。また、子どもが欲しがったので「リングフィットアドベンチャー」というエクササイズをするゲームを買いました。これが、時間のない中での運動不足解消に驚くほど効果的で、子どもよりも私のほうが楽しむようになりました。

3つ目は、自分が素敵だな、尊敬できるなと思っている方のうち2〜3人が良いと言ったものは、自分の知らないものでも良いのだろうと思うようにしています。その人たちがシェアする情報は意識しています。

このようなインプットが非常に大事で、インプットが駄目だとアウトプットで良いものが出てこきません。インプットの質を上げれば、良い記事を書き、良い編集ができます。ただし、インプットだけでもダメで、そのインプットからどう意味処理をするか、ないし自分なりの気づきを得られるか、その軸があってこそインプットが生かせると考えています。そのために重要なのが自分という軸であり、「好き」「嫌い」というフィルターです。私は自分のフィルターに引っかかって「面白いな」と思ったものを大事にしています。凄腕の編集者やコピーライター、プロデューサーの方々は、世の中のふわっとした課題や感覚を適切に言語化する力があります。それは数多くの出会いや経験、知的創作を積んで自分という軸を作ってきたからこそ可能になるのです。

ーー自分のフィルターを磨いていくと、より良いアウトプットができるようになるのですね。

はい、良いアウトプットの定義にもよりますが、そこにはその人のユニークさが関わっているのではないでしょうか。みんなで競って同じ情報を取って書くのではなく、自分のフィルターでしかキャッチできないことを拾い、他の人には書けないことを書けばいい。それが独自性であり価値が発生することですし、競争も少ないので、楽しい人生だと思います。逆に情報は、みんなが言っていることを同じように発信しても全く価値がありません。もちろん同じ情報をいち早く取得して報じる競争で勝てる人は素晴らしいと思います。また、そうした人々を真似する「キャッチアップ」という一つの戦略もできるのであればよいのですが、私のように能力も体力もさほどない人間からすると、もっと違うところを攻めていく方が良いと思っています。

ーー記者、編集者として独自性を大切にしているのですね。

そうです。インタビューで同じことを話しても、聞き手によって記事は全く変わります。上から下に質問事項をなぞって書くよりも、一番面白いと思った部分を中心に構成して、なぜそう思ったかが読者に分かるように文章を書くことが大事です。その人にしかできない、書けないインタビューがユニークだということです。そこを意識すると、情報というものの捉え方が変わってくると思います。

有名な方にインタビューするときは事前に過去の記事を見ますが、絶対に同じことは書かないでおこうと思います。当然同じ人に話を聞くので同じ内容も出てきますが、違う切り口で聞くことを意識します。だから、他人の書いたものは参考にはしても信用しないというのが一つのスタンスです。

ーー今後書いてみたいテーマや深堀したい分野はありますか?

実はあまり考えていません。3年後、5年後のキャリアはあまり考えないようにしていて、「今」「ここ」に集中しようと思っています。「あんなことをやりたい」という理想と現実のギャップを埋めていくよりも、今目の前に困っている人がいたら助けるとか、自分が手助けできる課題があれば解決の努力をするとか、心が動くことを大事にして生きています。

画像2

(ドバイにおけるHBRのグローバルカンファレンスにて)

メディアの未来

ーー様々なメディアを経験されたからこそ分かる、それぞれの良さや感じることを教えてください。

テレビの現場を見て、新聞、月刊誌と週刊誌、書籍を作り、現在はオンラインメディアや動画、ポッドキャスト等にも携わっているので、メディア全般は確かに経験しています。では、メディアとは何かと考えると、1対Nの関係を作る装置だと思います。

新聞の原点は瓦版で、1対1で話していた災害やゴシップなどの内容をもっと多くの人に効率的に届けるために生まれたと考えてもいいでしょう。活版印刷技術は、聖書を広めるために大きな役割を果たし、そのおかげで情報がどんどん伝播するようになりました。

テレビは1000万人単位の視聴者を考えるメディアなので、10万人ではなく1000万人の人が「面白い」「参考になる」と思えるものでなければなりません。まさにマスと呼べるメディアです。新聞は大体1対100万人の関係です。雑誌は一桁下がって10万部程なので、よりテーマが絞られます。書籍は1万部も売れたら良いほうで、100万部になると大ベストセラーです。つまり、メディアの違いとは、1対NのNに何の数字を入れて読者や視聴者とどのような関係を築くのかという話なのです。

当然Nが大きければ大きいほど情報伝播の効率は良くなりますが、逆に一人一人に影響を与えるような深さはなくなります。だから、どんなにテレビで良いことを言ってもみんなの心には残りにくい。新聞で何かを書いて、行政や企業は動かせても個人の行動を変えるまでは難しいのです。ただ、書籍はターゲットが5000人、6000人と少ない分、反応がはっきりとわかります。テーマが絞られるので、それに関心のある人に深く刺さるからです。エストニアの電子政府やその社会変革を書いた拙書『つまらなくない未来』という本を読んでくれた沖縄の学生さんが、「沖縄でつまらなくない未来を描きたいと思います。卒論頑張ります」と東京までわざわざ言いに来てくれました。この本を読んで人生が変わったと言ってくれる方もいます。

対象が狭まることで課題もよりフォーカスされます。もしも、生活習慣病が心配で在宅でエクササイズする方法を探しているビジネスパーソンがいた時、リングフィットが解決法になるよと提示してくれる書籍があれば、おそらくテレビの健康番組よりも、よほど関心を引くと思うのです。それは、Nが小さい分、ターゲットが狭くできるため、情報が届きやすく、「刺さる」のです。

このように、情報伝播の効率性と情報が刺さる深さは、トレードオフの関係にある気がします。ただ、インターネットだけは唯一まだらで、1対1000万人、場合によっては1億人に届く可能性もある一方、1対1で閉じる場合もあります。TwitterなどのSNSの世界は、1対1のやり取りがいつの間にか広がりますし、インターネット上では過去に発信された情報が検索で拾うことができるので、情報発信装置であるマスメディアの世界とまた違います。

また、マスになればなるほど設備投資にお金がかかります。テレビは電波を効率よく飛ばすためには、大きな電波塔や中継局が必要です。一つの番組を作るのに大きなスタジオや数百人規模のスタッフが関わるのに対して、本を書くのは著者1人で進められます。編集者を含めて2人でほとんどの作業を進められる。雑誌はチームなので、5人から30人程の世界ですが、新聞は1つの紙面を作るのに1000人単位でかかります。このように、伝播の効率性が上がれば上がるほど設備投資や関わる人が多くなり費用がかかるのです。

インターネットの場合は、そのようなビジネスモデルのインフラ基盤をGoogleやFacebookなどが肩代わりして無料で提供しています。一般の人がメディアを操るようになったおかげで、情報の流通が劇的に変わってきています。

ーー新聞やテレビ、出版の業界は斜陽産業と言われていますが、今後のメディアの在り方についてどうお考えですか。

非常にチャレンジングな時代に入っています。私の仕事ではまさにこの課題と日々向き合っています。今までは効率的な流通という大きな仕組みがあったので、編集者が良いと思った本を作って世に出せば、一定数の人が買ってくれました。しかし、モバイル端末の普及で雑誌を買う人がどんどん減っています。そこで、メディアとしてどうするかを考えるときに、「自分たちは何者か」が問われていると思います。

有名なマーケターであるセオドア・レビットは、「自分たちの産業をどう定義するかが大事だ」と述べています。1960年の彼の論文では、当時の鉄道会社と映画会社に焦点を当てました。両社が自らの事業を、それぞれ「鉄道事業」「映画制作事業」と狭く定義してしまったために衰退したと指摘しています。これが「輸送事業」「エンタテインメント事業」と考えていた企業は違った未来が迎えられたのです。

自分たちのドメインを出版事業だと思ってると、衰退は免れないと思います。しかし、私個人の意見では、出版社は知識産業を支えている会社だと考えています。これまで先人が築いた知が集積している。それをテクノロジーの力を生かして、世の中に安価で開放するサービスを提供する。高いお金を出さなければ得られない情報を安く広く、誰でもアクセスできるようにすることで、情報格差を減らし、社会がよりフェアになり、世の中が少しでも良くなるだろうと信じてこの仕事をしています。知識産業を支える事業として自分たちの事業を再定義すれば、何かの出版物を出すことが仕事ではなくなります。知識による格差是正をどうするかや、情報へのアクセスをより便利にするにはどうするかなど、考えることはたくさんあります。

実際、読者に何か課題解決のヒントを提供できればよく、紙にはこだわっていません。本は読者に没頭させるような体験をさせる上では優れたメディアですし、雑誌のレイアウトデザインや情報取得の効率性は優れています。ですが、先に述べたように、1対Nのバランスを考え、媒体を選択しながら読者ごとにさまざまな提案をしていかなければいけない時代だと思います。

また、伝統的なメディアには高いブランド価値があります。私の会社も100年以上の歴史があり、目に見えない大きな価値を持っています。ダイヤモンド社、ハーバード・ビジネス・レビューと言えば、ほとんどの人は会ってくれます。

ただ、これからの時代はこのブランドをてこに、1対Nの関係を疑似的に1対1にしていく、読者やユーザーにそう感じさせることが重要になると思います。皆さんもInstagramやFacebook、Twitterに慣れてくると、著名な人でも近くにいるような経験や、1対1で接するような感覚があることでしょう。つまり、効率的な情報発信装置ではなく、ある種、非効率であっても共感を醸成するような機能がこれからのメディアに求められます。伝統的なメディアはそういうことが苦手で、数多くのメディアが、ユーザーとの距離をいかに近づけるかにチャレンジしています。それができなかったところが淘汰されていくと思いますし、相当な危機感を抱きながら、我々も今チャレンジしているところなのです。 小島 健志のポートフォリオ メディアの担い手のための審査制プラットフォームChrophy(クロフィー):ポートフォリオ作成からAI文字起こしまで chrophy.com

小島健志
早稲田大学商学部卒業後、毎日新聞社を経て、2009年にダイヤモンド社で記者職に就く。週刊ダイヤモンド編集部で、データ分析を強みとした記事を執筆。その後、ハーバード・ビジネス・レビュー編集部に移り、2019年より同副編集長兼ビジネスメディア編集局局長付副部長として雑誌編集に加えて、新たなコンテンツのビジネスモデルを模索している。30歳を超えてからプログラミングや統計学を学び始め、Oracle Certified Java Programmerを始めとした数々の資格を取得している。著書に『つまらなくない未来』(ダイヤモンド社)。過去記事のポートフォリオはこちらから

聞き手&執筆担当:児玉理紗
株式会社クロフィー インターン
滋賀大学教育学部2年

インタビューを終えて:自分にしかできない戦い方を追求して、データという強みを見つけた小島さんからは、自分という軸をしっかりと持つことの大切さを教わった。また、数々のメディアを経験した小島さんだからこそ語れるメディア論は、非常に新鮮で学ぶべきものが多いと感じた。私は「こうあらねばならない」という固定観念を持ちがちだが、もっと柔軟に考え、自分だけの武器を探したいと思った。

本連載企画について:記者ら、メディア関係者のための業務効率化クラウドサービス『Chrophy』を開発する株式会社クロフィーでは『学生が迫る、メディアの担い手の素顔』と題した本連載企画を行っております。編集は庄司裕見子、サポートは土橋克寿
ご質問などございましたら、こちらの問い合わせフォームよりご連絡願います。また、弊社のインターン採用・本採用にご興味を持たれた方は、こちらの採用情報ページよりご連絡願います。

記事一覧へ戻る

Media Book Newsletterに登録しませんか?

近日配信開始予定のMedia Book Newsletterにご登録いただくと、メディア関係者の関心事を掘り下げるインタビュー記事や、広報PR関係者の最新ナレッジなど、メディア・広報PRの現場やキャリア形成に役立つ情報をお送りさせていただきます。ぜひ、メールマガジンへご登録ください!


※上記フォームへメールアドレスを入力後、本登録を行わないとメールマガジンは配信されませんのでご注意願います。
※本登録のご案内メールが届かない場合、迷惑メールボックスをご確認願います。