東京電力、東芝、味の素の広報経験者が語る広報入門ーー3.11の東電メディア対応の舞台裏

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広報PRの現場の方々を若い目線で紹介していく「学生が迫る、広報PRの担い手の素顔」シリーズ。新企画第1弾として話を伺った小林格さんは、東京電力で3.11後のメディア対応を担うなど、類稀な広報経験を積まれてきた。東芝を経て現在は味の素に在籍する、この道20年の広報のプロフェッショナルである小林さんに、学生が質問をぶつけた。(聞き手:川原紀春 連載企画:学生が迫る、広報PRの担い手の素顔)

広報の仕事内容

ーー広報という仕事について具体的に教えてください。

ひと口に広報といっても、大きく分けて3つあります。1つ目は社外向け広報で、いわゆるマスコミに情報を出す広報です。マスリレーション(メディアリレーション)とも言われます。

2つ目は社内向け広報です。その組織の雰囲気が悪くなったり、情報があまり回ってこないということをなくし、自分たちがどういう組織で何をしているのかというコミュニケーションを盛んにして、帰属意識を高めることが目的です。

3つ目はここ5年程で流行ってきた、オウンドメディアです。例えば、トヨタ自動車が展開する、CMとネットを融合させたオウンドメディア「トヨタイムズ」です。それまではある意味、間接民主主義的なやり方で、マスコミのフィルターを通して大きく報じてもらい、一般の人々に情報が届いていました。それが最近は、自社メディアを通して、伝えたいことを直接届けています。これらが各社に共通する広報の枠組みで、細かい部分は各社の個性があります。

ーーその中で小林さんが主にされてきたのは、どちらでしょうか。

社外広報、マスリレーションが中心です。ただしそれ以外にも、全体的な戦略を練ることや、すり合わせもしています。とある部署には情報が早く届いているが、隣の部署は知らなかったではよくありません。また、1つの情報を料理するリソースが大きければ大きいと効果は相乗的に高まっていくので、そこの調整もしています。

ーー社外広報をする際、どういうメディアに売り込むかなども自分たちで決めているんですか。

小さい会社なら自分たちでしなくてはいけませんが、ある程度ブランド力のある会社だとメディアの方が寄ってくることが多いです。日本特有の事情として、大手メディアが中心となって構成されている任意組織「記者クラブ」があるのに加え、大手メディア各社内では業界担当記者が大体決まっています。したがって、大きな新聞社や雑誌、テレビなどはこちらからアクションしなくても寄ってくるんです。

一方で、webメディアなどの新興メディアや、テレビ局の情報番組ディレクターなどは、こちらから働きかけていかないとなかなか情報が届かないので、そこは選びます。例えば、「会社としてヘルスケア色をもっと出していかなければいけない」という命題があるとしたら、ヘルスケアの新商品が出たときは、その分野に強そうな各メディアをピックアップして、アプローチします。

ーー広報の仕事の中の企業ブランディングについて具体的に教えてください。

極めてシンプルで、大きく2つあります。1つは日本企業に多い、積み上げ型です。昔からある財閥系が築き上げてきた看板は黙ってても売れるので、その価値を利用するやり方です。例えば、有名なものでは三井不動産の「三井に住んでます」という広告です。マンションを購入するときに、三井に住んでますというとやはり鼻高々な気持ちになれるでしょう。

もう1つは後付け、ゴールから逆算するやり方です。こういう状態になったらそのブランド力が高まるはずだ、という仮説があって、そこから逆算してやるべきことをやっていくんです。例えば、一流ホテルのザ・リッツ・カールトンでは、組織のあるべき姿や社員の姿を言語化して明確にした「クレドカード」を各従業員が常に携えています。そこには「一人ひとりに大きな権限を与えるから、とにかくお客さんを精一杯もてなして、お客さんがまた泊まりたいと思わせよう」といったことが書かれています。先になりたい将来像を掲げて、実際にみんなを引き揚げていく形、これが2つ目のブランディングです。

私が東京電力にいたときは後者を行いました。積み上げてきた日本型のブランドが東日本大震災の事故で崩れてしまったので、イメージを刷新して、なんとかやり直そうとしました。具体的には、ロゴや社名のフォントなどを変えたり、「東電で働くものはこうで在らなくてはいけない。だからこういうサービスを提供しよう」といったクレドにあたるものを、普段ブランディングに関わらないような現場の人たちを集めて一緒に考えたり、社内の関わりのない部署の人たちを一箇所に集めて自由議論しました。そうやってみんなの心の中に落とし込む作業を行いました。

小林さんの仕事論

ーー広報は社内・社外の多くの人とのコミュニケーションが必要だと思いますが、意識していることはありますか。

社のカルチャーを守ることは大前提ですが、一番大事にしているのは小さい成功体験を積み上げていくことです。会社によっては、外への発信に対して、手間がかかるなどのネガティブ反応があるんです。百発百中で当たればいいんですがそんなことはなくて、徒労に終わることも多いので。

他には、例えば医療分野などはすごくデリケートな話を扱うため、役所の規制もきついです。本当はもっとオーバーに言いたいけど、そうすると後で規制に引っかかるリスクがはらんでいたり。一方で、発表してライバルに知られてしまい、キャッチアップされるスピードが上がってしまうという副作用に対して、慎重論も出てきます。

したがって、小さくてもいいから成功体験を早い段階であげる。結局、それが一番話が早いんです。そして一緒に作り上げたという共闘意識が生まれ、うまくいったら問い合わせが増えて売り上げが伸びる。そういう正の循環を作ることが大切だと思います。

ーー長年広報の仕事をやってきて、仕事のやり方だったり、仕事をする上で大切にしていることはありますか。

8対2の割合で社外のネットワークを大切にしています。最後にアウトプットするのはその部分なので、外のコネクションを作り、信頼関係をガッツリ掴んでおきます。そして何かあったときに、私はこういう札を何枚か持っていますよ、今回はこのカードを出しませんかと社内に持っていく。

そのために、外の人間が何か困っている時に助けてあげることを意識しています。例えば、この業界のことを何も知らない新米記者が来たときに、事務的に冷たくするのではなく、決算の見方のポイントをメールでまとめて、決算発表の資料が出た瞬間に送ってあげる。要するに記者とはバーターの部分もあるので、関係を築くためにそうした工夫はしています。

さらには、魅力を普段からわかりやすくコンパクトに伝えることも意識しています。普通は言い淀んで、わかりやすく伝えない人が多いんです。「要はこういうことだよ」という言葉はみんなすごく嫌がります。要約すると、その間を抜けていく情報が多いじゃないですか。そのため、「つまりこうだよ、だから面白いから今度取材してみなよ」だったり、「社会的に今の課題意識とマッチするから調べてみなよ」などと提案していました。すると、相手ももっと考えて深堀りしてくるので、「それに+αでこれもやってみます」という感じで一緒に作り上げていました。

ーー広報を長年やってきて、時代とともに変わったことはありますか。

客筋が変わっています。客筋はオールドメディアとニューメディアとよく言いますが、オールドメディアのパワーが相対的に弱まっていて、それはこれからも続くと思います。その反面、ニューメディアがだんだん勢いを増しているので、その客筋の変化が一番大きいです。そこについていけてない人もたくさんいますし、逆に振り切りすぎてオールドメディアを疎かにしている人もいます。そのアンバランスは見ていて感じます。

就活軸は社会へのインパクトの大きさ

ーー学生時代はどんなことをしていましたか。

ゼミで政治思想、地政学の勉強をしていました。今でも続けており、文献は学術レベルのものも含めて追いかけるようにしています。また、4年間空手を続け、多くのことを学ぶことができました。実は数年前に復活して、現在も続けています。他には数回、外国へ放浪の旅に出かけ、そのことは社会人になっても活きているように感じます。4年間で大きな何かをしたわけではないですが、今に続くものを培えた学生時代でした。

ーー就職活動をしていたときの会社選びの軸を教えてください。

小さいものを扱うよりも、1つ1つの商売のロットが大きいものに携わりたいと漠然と思っていました。その方が社会に対するコミットが大きいと思ったんです。そこで商社やインフラなど、大きなものを作っているメーカーに絞り込みました。いわゆる滑り止めは受けておらず、一番最初に決まったところにしようと思って、最初に東京電力から合格の話を頂いたので入社しました。

ーー就職活動をしていた時は広報の仕事に興味はありましたか。

最初はあまり考えていませんでした。ただ入社して、異動希望書を書くときに希望の部署の3つの中に広報は入っていました。最初営業をしていたこともあり、どことなく社会とのコミュニケーションといった発信の仕方に興味を抱いていたのだと思います。そのため入社してから徐々に、広報の仕事に興味を持ち始めました。

逆境からのリスタート

ーー東日本大震災で原発事故が起こった際、福島第一原子力発電所の広報部におられましたがどのような気持ちで仕事をしていましたか。

事故が起きてめちゃくちゃになって、それまでと回るスピード感が何百倍になりました。ある人には、昔だったら3年かかったことを、4日で処理したよ、と言われました。私も含めて発電所は異常なまでの連帯感、使命感がありました。

広報としては、やはり負ってしまった傷は大きかったのですが、絶対に元に戻したいと思っていました。私の場合は人脈が広いことが取り柄なので、そこでできることをしようという意識がモチベーションになりました。

ーーそのとき世論の批判が大きかったと思いますが、メディア対応などの仕事からどういったことを学びましたか。

事故直後は戦略策定やブランド刷新するチームにいたため、メディア対応はしていませんでした。ただしばらくしてメディア対応へと担当が変わり、福島第一原発の後処理が遅いという批判や、他の原子力発電所を再び動かす機運があったことに対する批判はよく受けました。それはやはり、あまり気持ちの良いものではありませんでした。何を言っても悪い部分を取り上げられるので、出来ることは極めて限られていました。

意識したことは「今回はこれを言おう」というキーメッセージをきちんと定めて、何を言われてもそこに振り返って話すことを徹底したこと。しかしそれだけだと、AIや機械と変わらないので嫌悪感を抱く人もいると思います。そのため情に訴える作戦も非常に大事だと思い、工夫していました。ここで関係構築の大切さを学びました。

一度、20人くらいの記者に囲まれたことがあって。全く引かずに記者からの猛烈な追求にも対応し続けました。でも、そこに同情してもらったり、信頼できる人だと思ってもらえてその後記者の人たちと飲みに行くようになりました。現在も良い関係を続けていて、クライシス時の相場感作りはできるようになったと思います。

ーー批判されたり囲まれた中でも、立ち向かっていったモチベーションや強さはどこから来たんですか。

2つありまして、1つは先程も述べた連帯意識の強さがあったことです。もう1つは、やりたいことをすぐに実行できたことです。

東京電力はイメージ通りの堅実な会社です。でも、事故後は年功や職位が一瞬蒸発してしまい、これまでにないスピード感でなんでも任されるようになりました。そのときは前例のないブランディングでしたし、混乱していたので、一応承認は取りますが地位に関係なく全部決めてよかったんです。そういう、大企業だとできないようなスピード感で、かつ東京電力が持つ大きな社会的インパクトを与えることができるといった、いいとこ取りが他にも色々と出来ました。例えば、福島第一原子力発電所にコンビニエンスストアを入れたんですが、それも私と上司の役員2人が音頭をとりました。過去のヒエラルキーがしっかりしていたなら絶対できないことができたことは、すごくモチベーションになりました。

守りの広報から攻めの広報へ

ーーどうして東芝に転職したのですか。

専門性を高めるためです。事故から10年近く経ち、そろそろ会社も落ち着いてきていて、節目をクリアできたという思いが自分の中でありました。また40歳手前で、1回は転職しようとも思っていました。そのときに履歴書と職務経歴書を書いたら、何か足りないなと感じました。それは、東京電力は政府機関のようなものである種コンサバだったため、とにかく今あるものを悪く言われないように、ディフェンスする側面が強かった。逆に言えば自分から積極的にプロモーションして売り込むことがなかった。攻める広報ができたら私の職務経歴書の欠けたピースが埋まるかもしれないと思ったので、ちょうどオファーをいただいた東芝に行きました。

ーー新しい広報のチームに入るときに、最初に取り組むことで共通していることはなんですか。

外部とのネットワークが結局生命線なんです。そのプラットフォームを崩さないようにすぐ移管するのは、新しいチームに行くときも同じです。新しいチームへ行く前に、前からの知り合いに人を紹介してもらうこともします。なので、「外部とのコネクションを持ってる人」という位置付けをどこ行ってもできるようにということは大事にしています。

ーー東芝での仕事内容について教えてください。

2つあります。1つは、出資者が持っているアセットを見極めて、たくさん売り込んで、記事にして、成功体験を作り続けるという本質的な仕事です。「攻めの広報」と私は呼んでいます。

もう1つは、社内の情報整理です。情報整理は、大きな組織になればなるほど難しい。そのため、ある情報が届いていなかったためオウンドメディアでは出していなかった、といったタイムラグがよく起きてしまいます。それは非常にもったいないこと。企業の持つ広報的な打ち手はバラバラに出すより、戦略的にやった方が効果が倍加することが統計でも証明されています。ある商品が出たら、間髪入れずにプレスリリースを打つ。その次にテレビやラジオのCMをたくさん打つ。オウンドメディアはその熱が覚めた頃に、一発打つというように戦略的にする方が間違いなく効果がかなり上がります。そのために、戦略マップを作って情報を整理しました。

ーー東芝での実績を教えてください。

2021年4月まで在籍していましたが、以前はいわゆる研究開発が強い会社でした。一般消費者のイメージと違い、テレビなどの電化製品はブランドだけ残して事業売却したので、今の東芝では扱っていません。今はいわゆるBtoBと呼ばれる業態で、最終商品の一歩手前、あるいは工場向けの商材やAIなどのサービス等、我々一般人は普段接しないような商品ばかりを作っています。何もしなければメディアに取り上げられず、世の人々に広く知られることもありません。特にNHKで取り上げられた回数が過去5年間で1年に1回あったら嬉しいと現場から言われていたのが、入社してから1年で10回余まで増えました。

ーー東芝の2年3ヶ月で特に印象に残っている出来事はなんですか。

良いプロモーションができたという意味では、「マイクロRNA検出技術」のプロモーションです。血液数滴で、わずか数時間以内に99%の高精度でガンが検査できる手法を東芝が開発したんです。その時に、タイトルの付け方や表現の仕方を全て工夫して、キャッチーなプロモーションを作りました。プレスリリースのタイトルは長くて分かりにくいか短くて要領を得ない、とよく皮肉られますが、そのときのタイトルはよく覚えていて、「血液1滴から13種類のガンを99%の精度で検出する技術を開発」です。要するに1行に言いたいことが全部入っています。この反響はとても大きくて、全テレビ局で流れたり、海外のテレビ局からも取材依頼が来ました。この体験は一番思い出深いです。

また、東芝の中央研究所はGAFAだなら年収1億円プレーヤーになれるような優秀な研究者が大勢いる所でした。そういう意味で、とても刺激的でした。最先端の深い研究を本気でできる本物の天才とはこういう人なんだなと。ベンチャー企業でも発想力が優れていて、活躍してる人たちはたくさんいますが、やはり質が少し違います。ノーベル賞候補も常に5人いる、と称されるようなラインナップでしたから。その人たちからもらった言葉紐解いて形にして、世の中に出して、それがドンと受けたんです。

ーーそのような方々と働いて、小林さんの中で変わったことはありますか。

自分を殺してでもいいから、彼らに焦点を当てたいなというプロデューサーマインドはそこで生まれました。

BtoBからBtoCへ

ーーその後の2021年春に、味の素へ転職された理由はなんですか。

BtoCに興味を持ったのがきっかけです。その時ちょうど勉強していた、DtoC(direct to consumer)、いわゆる通販をみて、消費者に直接届く商材のプロモーションは、これまでのBtoBの仕方と異なるはずなので挑戦したいなと思いました。

ーーこれまでのBtoBの広報と、味の素でのBtoCの広報の違いはなんですか。

良い面、悪い面それぞれありますが、BtoBは最終商品が消費者の手に届くようなものではないので、基本的にはすごく地味です。したがって、自分で一生懸命その魅力を掘り出さないといけません。逆にBtoCは最終商品なので、すでに魅力的で、誰がみてもイメージがつきやすい。その意味ではすごく扱いやすいです。

ただし売る側のマインドとしては、BtoBは「魅力を掘り起こせばうまく取り上げられるかも」と期待を寄せてくれる人が多いので、頑張ろうと思う一方、BtoCは「CMを打ちまくればいいんだろう」という甘えがあるともいわれ、そこが実は弱い部分でもあります。なので、ある意味では私がこれからやろうとしていることは、チャレンジングなことなのかもしれません。

ーー新しく食の分野で広報をなさっていますが、これまでとの共通点、相違点を教えてください。

私が扱うお客さんはマスコミの人たちなので、ベースのプラットフォームは共通していて、発掘してその魅力を磨いて出すというバリューチェーンも基本的に変わりません。ただ異なる点は、先ほど述べた企業のマインドに加えて、扱うものが人の口に入る食品やヘルスケア製品で、それらは規制の縛りがとても強いです。したがって、少しオーバーに色をつけて言うことが許されない世界です。そういった制限のある中で戦うという点は大きく違うところです。

ーー現在力を入れているプロジェクトがあればお聞きしたいです。

『味の素』といううまみ調味料がメインなんですが、前に四大公害病があった時、化学製品に対してすごい不信感が世の中で募ったという歴史が日本にはあります。そこからまだ不信が拭いきれていないというのが今もあります。やはり「無添加の方が買いたいな」と思う方は多いでしょう。その不安を払拭するための「食と健康の未来フォーラム」を2021年9月1日19時に開催予定です。そこには視聴者もチャットでガンガン参加できますので、是非応募して頂きたいですね

これからのキャリア

ーーキャリアを見て大手の日本企業ばかり行かれてますが、ベンチャー企業に興味はありますか。

興味はあります。そういうところでディレクションと実務の両方をできる人は少ないことがほとんどのケースだと思うので、そこで力をふるえるのはいいなと思います。東芝にいたときに初対面で、東芝の人っぽくないですね、ベンチャーにいそうですね、とよく言われました。

ーー大手企業だと、スピード感がベンチャーと比べて遅いという印象がありますが、そういうことはなかったんですか。そんな時はどのようにして進めていましたか。

たくさんありました。半分は諦めの気持ちがあるんですが、100点満点を狙ったら永遠にできないんです。だから100点を最初に掲げて70、80点でよしとする。その代わりそういうことを次から次に行うことで折り合いをつけていました。なので、100に見せかけて120を出しておけば、100に近い答えになるといったテクニックも身につきました。

ーーこれからやっていきたいことを教えてください。

1つは、味の素のなかの、今まだ掘り起こせていないポテンシャルロスを出す作業をしたいです。外の人脈開拓はもちろん早々に着手していますが、それ以外に、本当は出せばいいのに出していないものがいっぱいある気がするので、それを出すことで企業のブランドイメージをさらに高めていくことにコミットしたいです。

個人のキャリアパスとしては、新しいBtoCの分野でこれまでしてきたことをしたら、また次が開けるんじゃないかという期待感はあります。BtoBもBtoCも経験した上で、次はさらに高いレベルでマネジメントできる立場に立ちたいので、そのためのステップになると思っています。冒頭、広報には大きく分けて3つの仕事があると言いましたが、それは極めて実務的でその上に理論ベースな話があり、それがブランディングやマーケティングと呼ばれるものです。そこを大きく含めて、マーケティング全体をディレクションできる立場のキャリアパスを手に入れたいという思いはあります。

ーーポテンシャルロスとは具体的にどういうものがあるんですか。

例えば、人をもっと見せたら魅力が伝わるのにまだやっていなかったり、商品を出すなどの大きなこと以外の、他ではやっていない小さな取り組みで、他の人が見たらいいなと思うようなことが実は色々あります。例えば、数年前に思い切って終業時刻を30分間前倒しにした画期的な取り組みがあります。時間外労働を減らし個人の時間を増やすことを進めるためのすばらしい制度です。日本でそんなことをした会社はそうないでしょう。そういう取り組みの可能性が、もっと色々眠っていると考えています。

小林格

早稲田大学を卒業後、東京電力ホールディングズ株式会社に就職。福島第一原子力発電所事故の際は広報部に所属し、前例のない現場対応を経験。その後、株式会社東芝に転職。社内外コミュニケーションCFTチームを率いる傍ら、企業ブランディングやレピュテーションアップを主導。2021年5月に味の素に転職。

聞き手&執筆担当:川原紀春
株式会社クロフィー インターン
立教大学法学部国際ビジネス法学科3年

インタビューを終えて:大企業広報インタビュー企画第一弾ということもあり緊張していましたが、人との関係づくりを重視しているとおっしゃっていたように、どんな質問にも笑顔で、時には具体例を入れてわかりやすく答えてくださり、小林さんの人柄の良さが伝わってくるインタビューでした。3.11の原発事故の時にその広報にいらっしゃったということは率直にすごいなと思いました。

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