1992年に日産自動車からフジテレビへ転職、36才で初めてマスコミ業界に飛び込んだ。入局後は経済・政治担当キャップ、ニューヨーク特派員、報道番組「ニュースJAPAN」のメインキャスター、経済部長、解説委員、BSフジ「プライムニュース」解説キャスターを経て、2013年に独立、現在は自身が立ち上げたウェブメディア「Japan In-depth」の編集長を務める安倍宏行さん。異例の経歴とその仕事観、見据える日本のメディアの将来像について伺った。(聞き手:村上和 連載企画:学生が迫る、メディアの担い手の素顔)
ひょんなことからマスコミ業界へ
ーー現在のお仕事について教えてください。
2013年10月にニュースの深層を徹底解説していくウェブメディア「Japan In-depth」を創刊し、現在は編集長を務めています。2013年にフジテレビを退職するまで報道局の解説委員を務めていましたが、2009年頃にSNSが登場してからインターネットの可能性を強く感じました。近い将来、インターネットメディアでの情報発信が主流になっていくのではないか。そういった思いと定年が近づいたことが重なり、思い切ってフジテレビを退職し、自分のウェブサイトを立ち上げました。
加えて、危機管理コンサルティングの仕事もしています。元々、フジテレビ関連会社でメディアトレーニング講師として、個人や企業に対してのリスクマネジメントをアドバイスしていました。ジャーナリストの視点からアドバイスを行うのは、社内に限らず自分でできるビジネスなのではないかと。そんな経緯で現在に至ります。
ーー学生時代から報道の仕事に興味を持っていたのですか。
慶應義塾大学経済学部出身ですが、周りには新聞記者やジャーナリスト志望はいませんでした。私も元々は商社志望で、卒業後は日産自動車に就職し、13年間に渡って自動車の輸出を担当しました。日産の経営問題をきっかけに転職を考え、今までとは全く違うことがやりたいと思いテレビ局を選びました。当時36歳だったこともあり、ゼロからできそうな仕事として報道記者へ挑戦した形です。
ーー自動車メーカーからテレビ報道に移ったきっかけを教えてください。
1999年、日産自動車は仏ルノーと資本提携し、同社の傘下に入って更生を図りましたが、私が在籍していた1990年頃から「どこかに買収されるだろう」と噂されており、借金が膨らみ買い手がつかない状況でした。周りの人も次々と転職していき、私も転職を考えるようになりました。同じ業界、つまり別の自動車メーカーへ転職した人も大勢いましたが、どこのメーカーでも仕事内容はたいして変わらないだろうと。どうせなら全然違う仕事をしたいと思ったのです。あと、給料も一つの判断要素でしたね。メーカーは給料が安いので。
ーーマスコミは他業界からの転職が難しいのではないですか。
たしかに、他業界から新聞社への転職はあまり聞かないですね。ただ、1990年頃は、どのテレビ局も中途募集がありました。私が大学を卒業した時期は第二次オイルショック直後で、どの企業もほとんど採用しておらず、人口ピラミッド的に35歳前後が少なかったため、中途から取らざるを得なかったのでしょう。
それから、テレビ局へ転職するといっても中途入社組の全員が報道へ行ったわけではありません。報道は中途採用10人のうち3人だけ、その内メーカー出身は私だけで、他2人は新聞社と通信社出身でした。私にマスコミ経験はありませんでしたが、面接では強く「記者になりたい」と主張しました。
それまでとは180°違う仕事
ーー実際に報道の仕事に携わる中で、始める前にイメージしていたものとギャップはありましたか。
まず、面接の度に「記者はやめた方がいい」と面接官に言われました。それから「いい歳だし駆け出しから記者をやるのは大変だ」とも。そうは言ってもやったことがないのでわからない。できないと言われる度に、「そんなことありません。大丈夫です」と言っていましたね。完全に反骨精神です。根拠はありませんがね。
配属後は、当然右も左もわかりませんでした。全く違う業種への転職で、漁師が突然銀行に転職するようなものですよ。また、昔は報道の現場は荒っぽかったのです。ただ、あまりに違ったからこそむしろ楽しめました。普通のオフィスワークだったのが、突然現場の仕事になり、時には地べたに座ってずっと人を待つこともありました。現場でカメラマンに、「この前まで銀座のオフィスにいたんでしょ。まさか体育座りしてマック食べるとは思わなかったでしょ」と言われたこともありました。
0からのスタートなので、今までのキャリアをかなぐり捨てて無我夢中でやりました。それが嫌だと考える暇もありませんでした。今思うと無茶ですし他人には勧めません。一発目の転職は20代でしろと俗に言いますし。
入局後は波乱万丈な生活が待っていた
ーーフジテレビではどんな仕事を経験しましたか。
当時、民放では経済ニュースを強化していこうという雰囲気があり、私はまず政治部の一部門の経済班に配属されました。そこで「好きなようにやっていいよ」と言われ、その通り好き勝手に取材し、記事を書いていました。経済部では、各企業だけではなく経済官庁、例えば、証券取引所、日銀、経産省、農林水産省、総務省、金融庁など幅広く受け持ちました。何とこれを3人で回していたんです。普通は記者クラブ制度がありますが、テレビ局の記者は人数が少なく、常駐していないので各クラブを走り回らないといけません。選挙が近くなると政治部に駆り出されることもありました。
2年目で経済部のキャップ、3年目には政治部のキャップになりました。4年目にはニューヨーク行きを言い渡され外信部へ。突然特派員になったのです。政治部の責任ある立場になっており、40歳になるタイミングで海外に行く可能性はないだろうと思っていたので驚きました。一つの転機でしたね。
ーーニューヨーク特派員時代にはどのような取材をしましたか。
ニューヨークでは5年間を通じ、ありとあらゆる取材をしました。全米・全南米を1人でカバーしていたからです。その中でも、社会部が取り扱うような事件、事故の取材が多かったです。赴任した1996年には在ペルー日本大使公邸占拠事件が起こり、日本人24人が人質になりました。この事件を取り扱うため5ヶ月間ペルーで取材をしました。
ーー歴史的に大きな出来事を取材したことはありましたか。
地下鉄サリン事件の取材です。私は引きの強い(何かの重大な出来事が起こった時に必ず現場にいる)記者だと言われていました。
その日、私は日比谷線の神谷町駅近くの東京共同銀行の前にいました。前年に東京協和信用組合と安全信用組合が破たんし、何千億円という負債を抱えることになったのです。不良債権が積み上がり、金融機関が連鎖倒産しかねないため新たな公的な整理機関である東京共同銀行を作ることになりました。そのオープニングが9時から神谷町で行われる予定で、経済部の記者も各社揃っていたのです。そのとき、産経新聞のカメラマンが「駅で大変なことが起こっている」と飛んできたかと思うと、カメラを持って足早に現場に向かって行ってしまいました。私も周囲の記者も経済部の取材があったのでためらっていましたが、ただならぬ様子なので、駅がすぐ近かったこともあり様子を見に行きました。
駅に着くと10人以上が倒れていて、転げ回って苦しんでいたり、口もきけず白目向いていたり、泡吹いていたりしている人が目に入りました。信じられない光景で、とにかく早く映像を撮らなければ、と思いましたが、そのときフジテレビのカメラマンは出勤中でまだ到着していなかったのです。ようやくカメラマンが到着したタイミングでポリスラインが張られ、現場に入れなくなってしまいました。ふと目をやると、外国人の方が倒れていたので、救急消防の隊員に、「英語が話せるから」と入れてもらいました。
その後11時頃に警視庁がサリンが原因であると発表。午前中から緊急特番を放送しましたが、社会部の記者は皆出勤途中だったので現場にいたのは私だけでした。カメラが回っている間もずっと自分1人でリポートし、撮って出し(撮影したものを編集せずにそのまま放送すること)になりました。今でもフジテレビに事件発生直後の記者リポートは私のものしかないはずです。
ーー安倍さんは『ニュースJAPAN』のメインキャスターもされていたそうですね。記者時代との違いを教えてください。
自分で原稿をかけないことです。他人の書いた原稿を読むだけですし、勝手なことも言えません。全く立場が違いました。
ーー自分で取材できるわけではないと。
そうですね。突発的な出来事が起こって現場にキャスターが行くことも稀にありますが、通常はスタジオでニュースを読みます。
ーーなぜ急に記者からニュースキャスターに転向したのでしょうか。
未だにどうしてなのかわかりません。ちなみに、半年くらい経つと視聴率が上がり始め、時には2桁を叩きだすようにもなりました。軌道に乗ったきた時にまた突然上司に、「経済部長にするから経済部を率いてくれ」と言われキャスターを降りることになりました。
ーー記者は専門職というイメージがありますがテレビ局ではずっと記者でいられるわけではないのですか。
テレビは新聞と比べると専門性が低い。NHKは事情が異なりますが、民放ではベテラン記者であっても番組制作に回ることも多く、ジョブローテーションが盛んです。
多彩な経験を積み重ねて思うことは
ーーメーカーでの経験は記者の仕事に生かされましたか。
はい。ものづくりの現場、特に海外部門で世界中の日産の工場や海外メーカーの工場を見ていたので、普通の記者がしないような経験をしています。ビジネスの世界に身を置いていたので、どのようにものを作り、どのように輸出するのか、あるいはどのようにマーケティングするのかという点を全てわかっていたことには一日の長がありました。
ーー様々な会社や部署を経験することで得られたものはありますか。
一つの会社にいることが悪いことではありませんが、今は転職が当たり前の時代です。生涯一つの会社に勤める人は稀になってきています。特に若い世代は「起業したい」「会社に入るのは起業するための一つのステップだ」と考えている人も多いのではないでしょうか。私も若くはありませんが、いつかは起業したいという気持ちがありました。転職を経て様々な仕事を経験をしたのはその後の起業に役立ったと思います。
余談ですが、組織に所属していたとしても、人の入れ替わりが盛んである方が組織そのものは活性化していくと思います。
日本の報道は今後どうなる
ーー「国境なき記者団」が発表する「報道の自由度」ランキングで日本は67位と大変低い数値が出ていますが、日本のマスコミの問題は何だと思いますか。
報道の自由度ランキングがどのくらいリライアブルかはわかりませんが、日本の報道で批判されるのは記者クラブ制度です。各政府関係の省庁には記者クラブがあり、大手のメディアは常駐する既得権益を持っています。フリーランスがアポなしで自由に省庁に出入りすることはなかなか難しいでしょう。
最近は比較的自由になってきていますが、アメリカのホワイトハウスでの会見とは異なり、日本は総理や官房長官の記者会見も事前に質問を提出する必要があり、制限があります。ただ、アメリカほど自由なわけではないとはいえ、日本のメディアの自由度が著しく低いとは思いません。
ーーテレビや新聞など従来メディアのインターネット戦略は現在どうなっていると思いますか。
テレビも新聞も迷っているようですね。特にテレビの報道については、各社対応が分かれています。テレ朝系列はサイバーエージェントと組んでインターネットテレビの「ABEMA」を持っていますが、これは地上波と制作の手法は変わっていません。フジ、TBS、日テレはウェブサイトは持っていますが、地上波で流したものを文字化したり動画を流したりしているだけで新たなメディアを作っているわけではありません。つまり、インターネットメディア戦略というものはあるようでないのではないかと思います。
新聞についても、基本は紙面をウェブ化して課金するパターンはどこも一緒です。今のところ日経新聞の一人勝ちでしょうね。読者も全ての新聞のウェブ版にお金を払おうとは思わないでしょう。新聞も通信社も動画コンテンツを増やしていますが、わざわざ活字メディアのウェブ版で動画を見る人はいるのか疑問です。加えて、動画はかなり手間がかかります。ニュースとして編集するのは大変で編集の人件費もかかるのでコストパフォーマンスは悪いですね。
ーー最近流行りのウェブメディアについてはどう思いますか。
そもそも日本由来のウェブメディアはありません。HuffPostやBuzzFeedはもともとアメリカのメディアですし、さらに政治系やスポーツ系など何かしらの分野に特化するような独立系インターネットメディアは日本にはまだないのです。
Yahoo!ニュースや、SmartNews、グノシーなどは、ニュース配信プラットフォームで、オリジナルのコンテンツがメインではありません。ただ、NewsPicksについては日本で成功した唯一の例ですね。経済に特化した専門家を含む読者からのコメントを掲載しているのが売りです。動画などのオリジナルコンテンツも作っており、有料会員が増えていますね。
ーー今後日本で独立系メディアが生まれていくと思いますか。
独立系メディアは日本で生まれ育つ土壌がないと感じています。なぜなら、日本は既存のマスコミが非常に強いからです。
アメリカでは地方紙がどんどん潰れて淘汰されていますが、日本は、新聞が読まれなくなったと言われつつもまだまだ全国紙が強い状況です。テレビも5系列ありますが新しい企業は参入できないでしょう。インターネットテレビで成功しているところはないですし。
元新聞記者や元NHK記者があるテーマを深く掘り下げたり、ファクトチェックに特化したりする独立系メディアを立ち上げている事例も少なからずありますが、どこも財政的には厳しいようです。課金して支えていこうという動きがないと独立系メディアを運営していくのは難しいと思います。インターネットだから不可能だというわけではないので、財力さえあればその世界に飛び込む人もいると思います。ただ、現状では大手メディアにいた方が給料もいいので、わざわざ高給を捨ててメディアを作ろうという人が出てくるわけもありません。
新たなプラットフォームにかける想いは
ーー安倍さん自身はなぜ高給のテレビ局を辞めてウェブメディアの道を選択したのですか。
フジテレビで働く中で、ニュースを深掘りして解説するには、テレビよりも自由度の高いインターネットの方が魅力に感じたからです。
民放のニュースの時間は短い上に、情報番組は報道局ではなく、情報制作局が番組を作っていますが、主に外部の制作会社が制作を請け負っています。報道局が作っているニュースも、実はエンタメやグルメが多く、純粋なニュースは番組全体の1割ほどしかありません。視聴者も高齢化していて、ニュースを見るために民放をつける人は多くないでしょう。加えて、テレビ局は放送法に基づいて表現や内容を厳しくチェックされています。そういった点で自由度はあまり高くありません。
一方、インターネットは24時間いつでもニュースを出せます。そこには時間の制約もありません。そして文字でも動画でも流せます。インターネットではいくらでも、好きなように、情報発信ができるのです。テレビのように放送法もないので自由度が非常に高い。テレビ業界にいたからこそ、そんな「自由さ」が私を惹きつけたのです。 安倍 宏行のポートフォリオ メディアの担い手のための審査制プラットフォームChrophy(クロフィー):ポートフォリオ作成からAI文字起こしまで chrophy.com
安倍宏行
慶應義塾大学経済学部卒業後、日産自動車を経て1992年にフジテレビ入社。報道局にて経済・政治担当キャップ、ニューヨーク特派員、外信部デスク、「ニュースJAPAN」キャスター、BSフジプライムニュース解説キャスターなどを歴任。2013年にはフジテレビを退社し、「株式会社安倍宏行」を設立。ウェブメディア「Japan In-depth」を立ち上げ編集長に就任した。その他、産業能率大学客員教授や危機管理コンサルタントなど幅広く活躍している。著書に『絶望のテレビ報道』(PHP新書)など。過去記事のポートフォリオはこちらから。
聞き手・執筆:村上和
株式会社クロフィー インターン
東京外国語大学国際社会学部3年インタビューを終えて:「記者は一生記者」という固定概念が覆されたインタビューだった。年齢や経歴に縛られずやりたいことを躊躇せずにやるワクワク感や臨場感がお話を聞く中で伝わってきた。「転職や独立が当たり前の時代になっている」という安倍さんの言葉が頭から離れない。安倍さんのように様々な経験をしながら柔軟に生きることは人生を豊かにするのではないかと思う。私も挑戦を恐れず波乱万丈な人生を送りたい。
本連載企画について:メディア関係者と広報PR関係者のための業務効率化クラウドサービスを開発する株式会社クロフィーでは、両ユーザーに向けた本連載企画を行っております。編集は庄司裕見子、サポートは土橋克寿。
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