プロフォトグラファー・平岩享。ポートレートを得意とする彼のInstagramには、有名な俳優やスポーツ選手などの一瞬を切り取った写真が並ぶ。カメラマンということは幼少期から写真が好きだったのかと思いきや、20代後半まで写真への興味はゼロだったという。そんな彼がどうしてプロのカメラマンになれたのか。そこには、被写体のその日のベストを切り取ることに全力を傾け、自分や他人に真っ直ぐ向き合ってきた姿があった。(聞き手:横山智咲 連載企画:学生が迫る、メディアの担い手の素顔)
(※本記事掲載の写真は、全て平岩さんが撮影したもの)
その場の一瞬で最高のパフォーマンスを出す
ーーまず最初に、カメラマンとしてどのような生活を送っていますか。
コロナ前後でも違いますが、基本的にコロナ前では月に20~30本くらい撮影があり常に忙しくしていました。撮影は10分くらいの短いものから10時間という長いものまで撮影時間はバラバラで、多い時は1日3~4本撮影があります。コロナ後、たとえば昨日(※8月下旬)は、12時から15時までと、15時半から17時半までと2本撮影がありました。でもコロナ前に比べると仕事は少し減っている印象です。
ーー撮影の準備にはどれくらいの時間をかけるのでしょうか。
基本的には知人からの紹介制で仕事をしているので、撮影の日時と条件をメールでやり取りして、当日現場へ行くことが多いです。知らない人と初めて仕事をするときは、2時間くらい打ち合わせを行う場合もあります。時々、ロケハンという、事前に撮影地に行ってどう撮るか決める作業もします。
しかし、準備したことで必ずしも成功率が上がるとは言い切れません。例えばとても晴れている日にロケハンをして光の方向などを確認しても、撮影当日にいざ行ってみたらとても曇っていて今にも雨が降りそう、ということがあります。そうなると雰囲気が大きく変わってきます。そのため、準備よりその日にどれだけパフォーマンスができるかが重要です。だから実は、僕にとってロケハンはそこまで重要ではありません。
ですが、クライアントが不安を抱えているときや、具体的な撮影イメージを持っていて、そのイメージを形にしたいと思っているときは、きちんと打ち合わせや準備をします。
ーーその場でどれだけ頑張れるかが大切なのですね。
撮影前、被写体の方に嬉しいことがあったのか悲しいことがあったのかは分かりません。けれども被写体のテンションが低かった時は「僕と撮影することで、その人のその日の気分が上がってくれたらいいな」と思って撮影しています。逆に被写体のテンションが高い時は「めちゃくちゃいい感じでありがとうございます」と被写体の気分に合わせて撮影します。
――なるほど。被写体の方だけでなく、平岩さん自身の中でも気持ちの上下はあると思いますが、撮影に向けてご自身の気持ちはどのように整理されていますか。
そうですね、友達や家族と喧嘩した後などは気持ちがなかなか上がりませんが、カメラを持ってシャッターを押すと、スイッチが入って元気になれます。仕事ではありますが、良い写真が撮れたら「最高だな」と満足できて、帰るときには自然と元気になっているんです。サラリーマンをやっていた時はここまで気持ちの切り替えは出来なかったので、カメラマンの仕事は天職だと思っています。
時にはクライアントや被写体を好きになれないこともありますが、自分が信じているイメージに突き進んでシャッターを切っている時は夢中になっているので、良い写真が撮れます。自分が苦手だと思うクライアントは、逆を言えば僕のことが苦手なのかもしれません。僕が良い写真を撮れたと思ってもそう思ってくれないこともあり、そういう時は次の仕事に繋がりません。でもそれはそれでしょうがないなと思っています。
どういう条件であっても最高のパフォーマンスを出すことをマイルールとしてやっているので、反省はあれどそこに悔いはありません。
元々写真への興味はゼロだった
ーー最初からカメラマンを目指されていたわけではなく、大学卒業後は旅行代理店に就職されたそうですが、カメラマンという仕事に関心をもった経緯を教えてください。
旅行代理店を選んだのは旅行が好きだったからです。今46歳ですが、25年くらい前は今のようにインターネットから情報を得ることはなくて、僕は仕事や会社について多くの情報を集めることもしていなかったので、興味のあることや好きなことからしか仕事のイメージが湧きませんでした。大学の休みを利用して海外をバックパッカーで放浪して、そのための資金調達にバイトするという本当に平凡な生活しか送っていませんでした。
僕は今も昔も変わらず、「趣味を仕事にすることは違うよ」といった世の中の価値観を言われると「本当にそうなの?」と思ってしまって、自分の思っていることを信じて突き進んでしまうタイプです。だから、趣味を仕事にして何が悪いんだという気持ちで就職活動をして、自分の好きなことや興味あることを仕事にしようと思っていました。
ーーなるほど。カメラマンも旅行代理店での仕事も選んだ理由としては共通しているのですね。
そうですね。旅行代理店では、自分でゼロから旅行を企画してパンフレットを作る希望の部署に入ることができました。パンフレットで使用する写真(ピラミッドやエッフェル塔のストックフォト)を選ぶのも仕事のひとつで、写真でお金を稼ぐ仕事があることを初めて知りました。そして問題だったのは、入社してすぐにバックパッカーの自由な旅の方がいいなと気づいてしまったんです(笑)。
名所を観光する旅より、偶然の人との出会いやなんでもない出来事がある旅に価値があると思っていたこともあり、世界中を旅しながら写真を撮ってそれで生きていくカメラマンの仕事に憧れ始めました。そこからコンパクトカメラ(CONTAXのT3)を買って写真を撮るようになりました。そういう矛盾を抱えながら旅行代理店では4年間働きました。
その中で2001年のアメリカ同時多発テロが起きて、海外旅行が全くなくなり暇になってしまいました。そのとき26~27歳くらいでしたが、モヤモヤしていたのでリセットして違うことに挑戦してみようと会社を辞めて、ワーキングホリデー制度を使ってオーストラリアへ行きました。カメラマンも含めてサラリーマンではない生き方を模索しながら1年間を過ごしました。
――オーストラリアからの帰国直前に、自分が撮った写真が売れたことがカメラマンを目指すことにつながったそうですね。
そうです。オーストラリアのパースの路上で自分の写真をポストカードにして5ドルで売りました。それが結構売れたんです。オージーは優しいので、きっとアーティストへの応援も含めて買ってくれたんだと思います。
オーストラリアにいた時に、日本に戻って自分がチャレンジしてみたいと考えたのが、カメラマン・コーヒーバイヤー・家具職人の3つでした。
中南米や東南アジアの雰囲気がとても好きなので、旅をしながらコーヒーを買って売る生活はとても楽しいだろうなと思い、オーストラリアで1年間英語の勉強を頑張りました。しかし元々耳が悪いこともあり、頑張っても思ったより英語が喋れないこと、そもそも英語自体に興味がなかったことに気づいて、次にチャレンジするのは写真かなと思いました。
好きという観点からで言えば、カメラマン・コーヒーバイヤー・家具職人の全てに興味がありましたが、旅行代理店での仕事がうまくいかなかった失敗を経て、自分の才能に合っている仕事を選ぼうと考えていました。僕は耳が悪い分、映像記憶力がとても高くて、見た景色を意識せずともインプットでき、旅行風景も心のシャッターを切った瞬間に自分のイメージとして記憶できるという理由があり、選んだのが写真でした。
ーー映像記憶力が元々あったのですね。写真にはセンスも必要だと思いますが、平岩さんがカメラマンの道を目指され始めたのは20代後半ということで、元々写真や絵画、映画などが好きだったのでしょうか。
写真には全然興味がなかったです。むしろ絵を描くことが好きで画家の方が知っていたし、映画好きの姉の影響で小さい頃から映画はたくさん観ていました。しかし写真には全く興味がなく、30歳まで写真と言えば家族の記念写真という認識でした。雑誌で使われている写真に対しても良い写真、悪い写真という見方さえなく、自分がそれを仕事にするイメージは全くありませんでした。
自分にセンスがあったかどうかという質問ですが、根拠のない自信だけはあったのでなんとかなるんじゃないのかなと思っていたし、そもそもダメ元でチャレンジしてみようくらいの軽い気持ちでした。
――その後、上京してスタジオマンなどを経験後、どのような経緯で独立したのでしょうか。
スタジオで3ヶ月研修して、カメラマンアシスタントを1年くらい経験してからプロのカメラマンとして独立して今に至りました。この期間は、自分の46年の人生の中で一番きつかったです。
アーティストクリエイターなど第一線で活躍している人は、大企業などで出世する人とは違い、一般常識が通用しない人が多いです。みんなが白だと考えるものに対して「これは白ですよね」と言うと、「バカヤロー黒に決まってるだろ」と言われます。親からもバイト先の店長からも旅行代理店時代の上司からも、そこまで否定されたことがなかったのでびっくりの連続でした。毎日、事務所に行く足取りがなんと重たかったことか。
自分のカメラマンの師匠に認められるところまで頑張る必要はあるのか疑問で、このままだと自分のパワーやエネルギーが溶けて失われていくような気がして、半人前でしたがプロの世界に飛び出してみようと思いました。
今の自分が100の技術を持っているとしたらその時は5の技術もなくて、素人に毛が生えている状態からのスタートでした。
ーー技術は仕事を経験していく中で身に付けてきたのでしょうか。
「一流の人と仕事をしたら三流の自分でも良い仕事ができるのでは」という仮説を立ててそれを実践してきました。「素材が元々良い一流の人と、一流の衣装さんとヘアメイクさんと仕事をしたら、三流のカメラマンでも良いものが撮れるのでは」という考えです。
一流になれるまで独立しない人もいっぱいいますが、人に認められなかったらどうしようという不安はいつまで経っても消えないものだから、思い切って飛び出してみても良いと思います。
失敗しながら、時にはダメ出しを貰いながら、1回1回の仕事で反省して直していく感じです。まさに仕事をしながら技術を磨いていきました。それが一番早い成長方法だと思います。昨日も撮影をしましたが、いまだに反省点はあります。
――日々成長なのですね。
そうですね。おじさんになっても成長できるっていいですよね。
また、ここが面白いのですが、1年目に撮った写真と今撮った写真と比べると、必ずしも今の写真が良いと言い切れないものです。今の方が経験も技術もあるけれど、全然何もなかった時に死ぬほど緊張して徹底的に心の準備をして、撮影の5分間にかけていた自分の熱量はもはや今はありません。その必要がなくなったとも言えますが、自分の人生や命を削って撮影した写真は映っているものが違います。
ーー15年のカメラマン生活の中で思い出に残っている撮影は沢山あると思いますが、あえて一番記憶に残っている撮影を選ぶとしたらどのお仕事なのでしょうか。
俳優のジャック・ニコルソンさんの撮影です。1年目の仕事ですが未だに強く印象に残っていて、撮影時の45秒間の空間の記憶は鮮明に残ってます。
撮り終わった時に、アカデミー賞を受賞した世界的な俳優さんが「あなたが撮った写真を楽しみにしています。なぜなら一人一人違った個性で僕と向き合ってくれたから僕には発見があるはずだ」と無名のカメラマンに声を掛けてくれたのです。それから10年以上経っていますが本当によく覚えています。
しかしそれは、1年目や2年目で物凄く情熱を懸け一本一本の仕事を死に物狂いで仕事していた頃だからこそ強く印象に残っていることもあると思います。その頃は不安で不安でしょうがなかったので、朝から「大丈夫、俺はできる」と心を落ち着けて撮影に臨んでいましたから。
加工では出せない素の表情を引き出す
――平岩さんはどうしてポートレート撮影を武器にしたのでしょうか。
初めは旅の写真を撮るカメラマンになりたくて、独立してからは香港やオーストラリアへ行く撮影もあり一生懸命撮りましたが、撮った写真が平凡でした。3年目くらいまでは依頼された仕事は全部受けていて、例えば新発売のホッチキスの良さを伝えるような物撮り、プロモデルや読者モデル、料理や建物など色々撮影しましたが、その中で一番認められたのがポートレートの写真でした。
写真で食べていくことが一番重要で、自分の武器を作ろうと思い自分の才能があったポートレートにフォーカスして4~6年目くらいで武器になりました。それは自分で判断したのではなく、周りから「クレジットを見る前に平岩さんの写真を見ると平岩さんだって気付くことが増えてきたんです」と言われることが増えたからです。
6~7年目くらいで依頼される仕事量が増えましたが、増えたのはポートレートの仕事でした。旅行写真を撮るのを仕事にしたいというところから始まりましたが、どうやら世の中が認めてくれた才能は旅行でなくポートレートなんだと気が付きました。であれば迷うことなくポートレートでやっていこうと決めました。そしてもうひとつ決めたのが、撮影料や雑誌の知名度よりも一緒に仕事をしたいと思える人から依頼された仕事を選ぶようにすることでした。
そうやって人との関係性を重視していたら、ここぞという重要な仕事を依頼されることも増えました。良い人と仕事をすることを選んでるからこそ、本当に楽しんで仕事ができていてハッピーです。
ーーInstagramの流行で、プロでなくても加工をして簡単に綺麗な写真を撮れるようになりましたが、自身の絶対的な個性は何だと考えていますか。
プロのカメラマンで「インスタグラマーなんて技術も経験も一時期のものですぐダメになる」という意見もありますが、いわゆるエモい写真を撮るのはインスタグラマーの方が僕より上手いと思います。
しかし、その人のその日のベストを撮りたいという向き合い方は僕の一番の武器だと思います。撮影に慣れている人でも慣れていない人でも関係なく、その人のベストを撮ろうとしています。
例えば15分の撮影時間があったとして、木村拓哉さんだったらプロの被写体として流れを組み立てます。しかし、初めて会った人で慣れていない人だったら、撮られている緊張感をなくすことに14分間を費やして、最後の残りの1分で撮影して、その人と親しい方に「とても良い」と言ってもらえる自信があります。それは加工では出せない表情だと思います。
ーー写真をカラーで撮るかモノクロで撮るかについては、クライアントの要望によって決めているのでしょうか、それとも平岩さんご自身の判断なのでしょうか。
クライアントの要望を受けてそれにベストを尽くすことが一番です。一人で完結するのはとてもつまらないと思っているし、ポートレートはそもそも誰かがいないと成立しない仕事なので、あまり自分の好みは重視していません。自分の中に「こう撮りたい」というビジョンが強くあるというより、ファンやクライアントが喜んでくれる写真を撮りたい。その人にとって一番良い写真を撮れたら撮れたら僕の勝ち。利他的な考え方で撮る方が、結果的に利己的な写真を撮れます。
被写体やクライアント、被写体のファンがハッピーになってくれる写真を撮ることが僕にとっての正解です。
――被写体にとってベストな写真を撮ることが大事なのですね。
被写体のベストとクライアントのベストが違う場合もあるので、そこはジレンマがあります。しかし仕事は自己満足の表現の場ではないので、クライアントが満足してくれるレベルを最低限のレベルとしています。
いつも100点満点を目指しますが、100点満点はほとんど取れないです。不確定要素が多い仕事なので、どんなに著名な被写体でも、自分がコントロールできる撮影の空間だけは頑張るという気楽な気持ちで撮影に行きます。しかしそうやって気負わずに撮影に行けるのも、15年間ずっと頑張ってきたからだと思っています。
――「平岩写真館」というイベントでは、仕事で知り合った人や昔からの友達の家族写真を毎年6月に撮影するそうですが、家族写真を撮るときに意識されていることはありますか。
家族のバランスを大切にしています。子どもが乗り気でない時、お父さんやお母さんは子どもを笑わせることを意識してしまいがちなのですが、つくられていない家族の素敵な瞬間を撮るためにチューニングします。例えば、子どもだけで撮って素の表情が出たタイミングで、お父さんとお母さんに入ってもらうなどです。
良い写真を撮ろうという気持ちは商業写真でも家族写真でも変わらなく、むしろ家族写真の撮影の方が難しいです。例えば木村拓哉さんは、誰が撮っても格好いい木村拓哉さんになります。しかし子どもは泣いていたり乗り気でなかったりするので大変です。そういった状況で「撮影を絶対成功させる!」と思っているので普段より緊張します。
ただ、泣いたり怒ったりしている写真も失敗ではなくて、後になって見てみると良い家族写真になるんじゃないのかなと思ってます。というのも自分の息子が泣いている写真を今見ると、色々な思い出が蘇ってきて良い写真だなって思いますから。
誰かの背中を押す新しいステージ
――10年後どういうカメラマンになりたいか、ビジョンはありますか。
40歳手前まではこう考えていました。2020年までは東京にいて、2021年以降は地方で記念写真館での撮影や、美味しいものや名物の撮影など、地元に貢献できるような仕事をしたいと。
ですから2020年がひとつのゴールだと思っていましたが、2019年にその考え方が変わりました。2020年以降はカメラマン生活15年間で出会って意気投合してきた人たちと色々なことをするボーナスステージということに気がつきました。今はもう少し東京にいてこのステージを楽しんだ方がいいなと思っています。
そして、僕が好きな人たちを応援する活動を、普段の仕事に加えて今年から始め、自粛期間もその作戦の話し合いや打ち合わせをしていました。6月の自粛期間が明けてからは、それらの種から芽が出てきてとても忙しいです。
――その応援する活動についてもう少し詳しくお話しいただけますか。
例えば、通っているジムでパフォーマンスが素敵だなと思うインストラクターの方がいて、機会があれば撮ってみたいなと思っていたのですが、たまたまその人から「実はここを辞めてモデルをやりたいんです。平岩さんカメラマンですよね?一度、写真を撮ってくれませんか?」と声を掛けられたことがありました。
以前はこういう場合一回撮ったきりで終わりでしたが、今はサポートするモードなので、モデルになるために必要な課題を提示したり、知り合いのヘアメイクさんとスタイリストさんを集めて写真を撮ったりしてサポートしました。
他にも、昔から仕事で知り合っていた劇作家の方が独立して会社を設立したのでその活動のサポートをしたり、演劇や対談の配信をしたいけどオンライン上でお金を集める方法に困っている時には親友のエンジニアを紹介したり、ホームページやインスタグラムで流す60秒の動画を作りたいというダンサーさんからの相談では一緒に仕事をしたことがある動画の撮影や編集が得意な友人と一緒に協力して動画制作をしました。
――人と人を繋げていくイメージですね。
そうですね、その人を繋げるポイントは僕が好きな人ばかりで、類は友を呼ぶです。
また、これまで頑張って撮影をサポートしてくれているアシスタントの若い人たちを仕事先の方に紹介していましたが、今は営業もできないので「DUOカメラマン」というものをやっています。僕は10分もあれば満足する写真を撮れるので、20分の撮影時間のうち10分をその人と分けて2人で撮るというものです。経験値にもなるし、撮影料もあるのでお金のサポートにもなるし、ひょっとしたら次の仕事に繋がるかもしれないと考えました。
モデルになりたい人の撮影も、「40代の感覚ではなくて20代や30代の若い感覚で撮った方が意外にいいんじゃないか」という仮説を立てて、若いカメラマンと2人で撮りました。結果、1年目の人が僕より良い写真を撮っているカットもありました。自分自身の自己否定の場にもなっているという発見もありました。
――他の人の背中を押すだけでなく、自分自身の成長の場でもあるのですね。
結果的にそうなっていることに気がつきました。一人ではなく、仲間と色々チャレンジをすることで自分自身の新しい可能性の発見や成長に繋がっていたんだなと。
10年後どういうカメラマンになりたいかという質問に戻ると、サポート活動の中で新しい仕事の可能性が出てきたらそれに挑戦していると思います。例えば動画撮影やプロデュース業、若いカメラマンのサポート活動など、そういったことが仕事になっていたら面白いです。
ですがやっぱり最後は、地方で写真館をやりたいです。「あのおじいちゃんいつもは適当だけど写真だけはめちゃくちゃうまいんだよ」と地元の人に愛されれば最高です。そこはブレずにいきたいです。
平岩享
名古屋出身のポートレートを得意とするフォトグラファー。俳優からスポーツ選手、ミュージシャンやダンサー、画家などのアーティストから起業家などのビジネス系、家族写真まで幅広く撮影している。
大学卒業後、旅行代理店に入社。27歳で退職後、ワーキングホリデーで1年間オーストラリアに滞在、アジアや南米を放浪する。その後30歳直前で上京し、スタジオマンやカメラマンアシスタントなどを経て、31歳でプロのカメラマンとして独立。2013年より毎年6月に「平岩写真館」を開催。2020年からは「自分は脇役。主役はあなた」をテーマに撮影以外のサポート活動にも力を入れている。
Instagram: https://instagram.com/hiraiwatoruphoto
note: https://note.com/hirarock
聞き手&執筆担当:横山智咲
株式会社クロフィー インターン
東洋大学社会学部2年インタビューを終えて:「好きじゃないことは頑張れないし、やりたいことをやる方が伸びる。これから何にでもなれるからやりたいことをやればいいと思う」という言葉に強く背中を押されました。平岩さんがnoteに書かれていた言葉からも人柄の良さや温かさを感じましたが、実際にお話を聞いて、人生や仕事への向き合い方など尊敬すべき点が多くありました。私もこの記事を通して誰かの背中を押すことに繋がれば幸いです。
本連載企画について:
記者ら、メディア関係者のための業務効率化クラウドサービス『Chrophy』を開発する株式会社クロフィーでは『学生が迫る、メディアの担い手の素顔』と題した本連載企画を行っております。編集は庄司裕見子、カバーイメージは高橋育恵、サポートは土橋克寿。
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