日刊スポーツで10年以上のスポーツ記者キャリアを築いた後、ニュース配信プラットフォーム『LINE NEWS』へ飛び込んだ塩畑大輔さん。語り口も物腰もソフトだが、その内側は、自身の経験で感じ掴み取ってきた信念に満ちている。東京オリンピックで果たすべきメディアの役割、SNS時代における既存メディアの価値、そして塩畑さんがこれから果たしたい役割とは何か、語ってもらった。(連載企画:学生が迫る、メディアの担い手の素顔)
(スポーツ記者時代の塩畑さん)
大事なことはディズニーランドで学んだ
ーースポーツ記者になったきっかけは何でしょうか。
子供の頃から夢は新聞記者でしたが、ちょうど就職氷河期と呼ばれる世代で、勝手に「思う通りの就職なんてできないんだ」と追い込んでいたかなと思います。大学ではインターンや学生新聞の編集をしていたわけでもなく、広告代理店なども受けていた中で、最終的に拾ってもらったのがスポーツ新聞社でした。
スポーツ記者を志望した理由のひとつに、大学時代に手漕ぎボートを20名で漕ぐ「ドラゴンボート」という競技をしていたことがあります。アルバイトでディズニーランドのアトラクション「ビーバーブラザーズのカヌー探検」の担当をしていたんですね。動力もレールもなく、お客さんと力を合わせてカヌーを漕ぐもので、一年中カヌーを生業としてやっている人も他にいないだろうからとバイト仲間で参加することになったのです。
ところが、みんな資金がない。競技を続けていくのが本当に大変でした。大学の部活なら学校の補助もありますが、完全に野良サークルだったので、練習用のボートも他のチームに頭を下げて貸してもらい、小学校を借りて児童がいなくなった放課後に体育館を走りまわったり、バーベル代わりにペットボトルに砂をつめて筋トレをしたりしましたね。遠征費を準備するために、キャストの仕事だけじゃなく他でバイトもしたりして、過労で体調を崩してしまったやつもいました。それでも最終的には自衛隊やライフセーバーといった、セミプロのようなチームなどにも勝ち、全国大会で優勝することができました。
充実感を覚える一方で、これがメジャー競技だったら、こんなに大変な思いをしなくてもいいのかとも思ったものです。だから記者になってマイナー競技を取り上げて、スポンサーさんに興味をもってもらえるような記事を書いて、同じような境遇の選手の救いになれたらいいというのが、志した理由です。
(学生時代の塩畑さん)
ーー大学は政治経済学部ですが、仕事に活かされていることはありますか。
大学よりも、色々学ばせてもらったのはディズニーランドの方です。現在の仕事は、記事を書くというより、LINE NEWSというプラットフォーム上で良い記事と読者が出会うためにどうしたらいいか考えることになってきていますが、どんな仕事をするにせよ大事にしているのはディズニーランドで勉強したことです。コンテンツを提供する側は、コンテンツを愛してくれている人が持っている熱量と同じものをもっていないとだめなんだと。
大学入学で上京した当時は、謙虚でもなくて、訳もなく世の中を斜めに見ていたりして、ディズニーランドでキャストをするということにも少し冷めた態度をとっていたと言いますか。どこかしら「僕の案内なんかでお客さんが喜ぶのかな」と思っていたところがありました。カヌーに16人のお客さんを乗せてインディアンの集落を探検するんですけど、当時の自分みたいな人間がしれーっとやるとお客さんもしれーっとしちゃって、とにかく盛り上がらない。お客さん自身が漕いでくださって初めてカヌーがスムーズに進むので、みんなのテンションが上がらないと2トンのカヌーをキャストが一人で頑張って漕いでも限界がある。後ろのカヌーに抜かれちゃうし、抜かれないように一生懸命漕ぐと消耗するし、盛り上がらないからやりがいも感じにくいし、1年くらいは前向きになれなかったんです。
大学2年の夏休み、キャスト仲間と飲みに行ったら「そんな風にすかしてやっているからお前のカヌーはつまらない。お前のカヌーに乗ったお客さんははずれだね」とケチョンケチョンに言われてしまった。言われて腹も立ちましたけど、その通りでした。
そこから少しずつではありましたが、アメリカ西部の昔のインディアンの世界に自分が肩まで浸かってやってみるようになったら、すぐにお客さんの反応が変わりました。よく考えれば当然なんですよね。お客さんはもともと楽しみたいわけですから。逆に言えば冷めたものにもとても敏感。そこで「お客さんより熱くなってやらないといけない、これを大事にしなきゃだめだ」とわかったのです。大学生の時に、ユーザーの熱量とつりあうか、それ以上のものをぶつけないと、コンテンツの作り手はプロ足りえないと感じたのが、今に通じる自分の原点でした。
意図を汲み取って言語化することがプロの仕事
ーー主にプロスポーツ選手に取材されていますが、取材時や執筆において心がけていることはどのようなことですか。
第1は競技を愛すること。良い記者と悪い記者を分けるのも、まずそこじゃないかと思います。本当に伝えようとするものに価値があると思って誰よりも楽しんでいるかどうかに尽きるし、そこから先はいくらでもついてきます。記事は量を書いていればある程度までは自然と上手になるし、人間関係も元気にあいさつしたり、前向きに取り組んでいれば後から付いてくる。しかし、とにかくその競技を本当に愛していないとと、読者の皆さんに振り向いてもらえるようなアウトプットはできない。アスリートも、ファンの皆さんに向けて発信したいのだから、ファンに振り向いてもらえないような記者は当てにしてくれない。だから、愛が足りない記者は、いずれ取材対象ともうまくいかなくなってしまうんじゃないかと。
次に「プロとプロ」として対等、というあり方を目指すこと。アスリートは競技のプロですよね。同じように記者は競技を見るプロであり、観察のプロであり、聞き手のプロであり、言語化のプロでなければいけない。そこを認めてもらって、信頼されることを目指す。取材対象に媚びたり、すがったり、みたいな関係では限界があるような気がします。特に言語化のプロという点では、記事にする時「一語一句アスリートが言ったことをそのままコメントで使うのは違う」と個人的に思っています。
アスリートは言語化のプロではないので、言ったままコメントとして使うと意味が通じないことがある。読者がわかるようにコメントを整えたり、コメントの背景を前後の説明や描写で補足して、言語化のプロとして彼らをサポートしないといけない。その時にコメントの本意を間違えて解釈していると、正しく整えられないということが起こって、「言った通りに書いていないからマスゴミだ」となってしまう。
そう言われるのが嫌で一言一句書く人もいますが、僕は違うと思いますね。「読者には伝わらなくても、本人が話した通りに書けば少なくとも自分は炎上しない」というのなら、記者の存在意義自体が問われるようなことになってしまう。「これがあの選手が本来言いたいことだ」と自信をもって文章を整えられるよう、普段から取材をして選手の本意を理解しておく。とても極端な話ですが、「Aと言ってしまったけど、本当はBと言いたいんだな」というのは、きちんと取材をしていればわかります。そこで自信をもって、Bと書けるかどうかにはこだわります。
ーーそのまま書くだけなら記者を通す必要も無いし、映像をそのまま流せば言いたいことだけを伝えることができます。私はプロレスが好きなのですが、リング上のことだけを書くのなら、スポーツ記者はいらないんじゃないかなと思います。リング上で起こることだけがプロレスじゃない。上がるまでの背景があるから応援できるし、感情が乗る。だからそういうところをスポーツ記者に伝えて欲しいです。
その通りだと思います。プロレスのノア所属の齋藤彰俊選手を以前取材しましたが、無観客試合の難しさに言及されていた。エメラルド・フロウジョン(ノアを設立した故三沢光晴選手の必殺技)をノアのレスラーがやることの意味があるじゃないですか。観客がいるときはその背景を知らなくても、会場の他のコアなファンが盛り上がるから「これは特別なんだな」と気付く。そして調べたりすることで追悼やオマージュの意味があることがわかっていく。でも無観客では、実況が拾えないようなところや、映像に映っていないけど実は意味のあることがなかなか伝わらなくなってしまう。「だからこそ、よりメディアの皆さんに語り部として伝えていただくことが大事になる」と斎藤選手が話されていました。
ーー相手に伝えたいことや感じてほしいことを表現するために、心がける点はどこだと思いますか。
取材相手に愛着を持つとお話ししましたが、それと真逆の視点を持てるかどうかだと思います。誰よりも馬鹿になってその競技や事象を愛しつつも、そこに対して愛着を持てない人もいるのを受け止めていく。思い入れを持てない人もいるという事実を受け止めた上で記事を書かないと、伝わらない部分が出てきてしまう。難しいですがそこに尽きます。
スポーツに限らず、興味を持ったり愛着がある人は積極的に解釈をして埋め合わせをして読んでくれますが、そうではない人にどう読ませるのかがまず1つ。さらにどの競技団体も個人も新しいファンを獲得するのが一番難しいのですが、やはり記者としては、記事を読んだ新たなファン層に会場へ足を運んでもらいたい。そのためには全く興味がないという人の視点を意識するのが大事です。
記者は普通行けないようなところで他が見られないものを見せてもらって自己満足するのではなく、それを読者に見せないと仕事として成立しない。知らない人でも追体験、疑似体験できるよう脳内にその景色を思い浮かべてもらえる丁寧な描写をして、その上でこの出来事にはこういう価値があるということをきちんと説明しないと、全く興味がない人はついてこられない。どんな人でもその世界に没入してもらえるよう、表現にはこだわっています。
ある日突然祖国が消え、家族は離散した
ーー最も印象に残っている取材相手はどなたですか。
noteにも書いていますが、やはりサッカーのオシム監督ですね。ご縁としか言いようがないのですが、入社3年目に取材記者として最初に担当できたのがJリーグのジェフユナイテッド市原千葉でオシム監督。色んな事を教えていただきました。オシムさんはあれだけの成果をあげていますが、ペレやクライフ、マラドーナみたいに世界中の誰もが名前をパッと思い浮かべられる感じではない。でも一方で、世界一のチームを作ったと評する人も多い。
1990年のワールドカップイタリア大会でユーゴスラビア代表を率いていますが、当時のユーゴスラビアはまさに分裂しそうになっていました。オシムさんが抜擢した選手が活躍してチームが強くなったのですが、準々決勝でマラドーナがいたアルゼンチンにPK戦で負け、アルゼンチンが準優勝、西ドイツが優勝しました。退場者を出しながらだったのでほぼ互角と言えるでしょう。日本の皆さんにもおなじみのストイコビッチがいましたし、選手はみんな若く、4年後は優勝候補と目されていたのですが、祖国はその後内戦になり、セルビア、スロベニア、クロアチアなどにバラバラに。
ただ、クロアチアは1998年世界3位、ユーゴスラビアもベスト16、2002年にはスロベニアがワールドカップ出場と、オシムさんの教え子がそれぞれのチームで世界トップクラスのチームを作りました。内戦が起きず、代表も分裂しなければ、ワールドカップで優勝することも十分可能だった。そういう意味でオシムさんは、世界一のチームを作ったと言われている。あのレアルマドリードからもオファーがあったとも言われています。
ーーすごいですね。
ボスニア・ヘルツェゴビアが内戦でセルビア人勢力に包囲されているときに、オシムさんはセルビアで監督の仕事をされていたので、奥さんや子供がいるボスニアに帰れなかった。そのままギリシャへ亡命して、監督をされていた。ある日突然母国に帰れなくなり、ずっと家族と会えないという経験をされているから、全てのことを信じていないというか、物事はいつどうなってしまうかわからない、というところが前提としてあるのでしょう。いくら強いチームを作ったところで、国が分裂するような、自分ではどうしようもないことが現実に起き得るし、そうなると振り回され抗うことが出来ないのだと、どこか悟られてしまったところがあるのかなと思います。
ですから、自分がしていることがいくら上手くいっていても、それを信じきらないようなところがあるのかな、と見ていました。現状を疑って何かをつけくわえる。世界のトレンドもどんどん変わっていってしまうから、自分も変わらければならないというのもすごく強くお持ちで、僕が取材していた当時は60歳を過ぎていましたが、その年齢でもアップデートし続けられていました。新しい戦術の流行りが出てきたら、誰よりも早く吸収するし、夜はずっとサッカー見ていましたし。
そして、オシムさんの根っこにあるであろう「平穏な日常が変わらず続くとは限らない」ということ、それを僕自身も体験することになりました。それが東日本大震災であり、今回のコロナ禍です。オシムさんが感じていたことはこれなのかもしれないと今、思い返します。世の中はどうなってしまうかわからないから、今できることを全力でするべきだし、どうなったとしても柔軟に対応していかなければならないと、僕はオシムさんに教わりました。「常にアップデートしなければいけない」というのは、転職にもつながっているかもしれません。
取材記事が価値に見合った評価を得るために
ーー転職された経緯やきっかけは何でしょうか
1つ目はアップデートです。40歳直前に転職したのですが、ちょうどサッカー担当から野球担当に異動が決まった時でした。野球担当は入社以来の希望で念願ではあったのですが、「野球部で取材を1年間したらまた異動の辞令が出て、一般スポーツ部に戻ってデスクにーー」という道が見えて、すると多分そのまま新聞社の会社の中にずっといて紙面を作って、定年を迎えていくのかと。15年近くいて新聞社の紙面作りの理屈には慣れて、ミクロな障壁はあっても特に難しいことにももう直面しないし、根本的に自分を考え直さなくちゃいけない、このままだとしれてんなと思ってしまったんです。
2つ目はネットに記事を書くのが好きで、ネット向けのコラムのコーナーもわざわざ作ってもらって書いていたのですが、もっとネットを使って上手く新聞社の取材の力や書く力をアピール出来たりできないかな、というモヤッとした想いがありました。
3つ目は「プラットフォームは得体がしれなくて搾取されているかもしれない、信用ならないから手を携えてやるのは難しい」と当時の新聞社は言っていたのですが、真実はそうなのか、見えないところから言っていても仕方がないから行ってみるしかないと、これらの理由が相まっての転職でした。
ただ、妻と2歳の娘がいる40歳手前の転職でしたし、ITの世界は転職をしながらキャリアを積んで行く考え方だから、終身雇用が前提の新聞社と違って退職金もないし、そういう安住できないところに飛び込んでいくという怖さはすごくありましたけど、最終的には決断しました。ただ、退職を決めた後に西武ライオンズの取材がどんどん面白くなっていって、続けて取材できていたらどうなっていたかなって思わなくはないんですけどね。
ーーLINEではどんな仕事をされていますか。
LINE入社後1年間は、LINE NEWSに配信された記事の中で読まれそうなものをピックアップし、見出しをつけて並べる仕事をしていました。その間にスマホやネットではどういうものが読まれるのかを勉強し、その後は2年近くLINE NEWSプレミアムというサービスでニュースを書いていました。5000字をこえるような長文でもある程度読まれるなという手ごたえが出来てきましたので、今はそれと同じようなフォーマットで、色々な媒体の皆さんにLINE NEWS向けの書き下ろし記事を書いていただくご提案をするのが主な仕事です。
LINE NEWSは媒体の皆さんから記事の配信を受けて、それを掲載しているサービスですが、書き下ろし企画では通常配信の記事とは違う形の記事を書いていただく。例えば岩手日報という新聞社さんは、大谷翔平投手や菊池雄星投手など岩手出身のメジャーリーガーに本当に手厚い取材をしておられる。中学や高校時代から取材をしていて、帰国の際にも必ず単独のインタビューをしていたり。昨今では媒体が記者を日本から派遣するのも大変ですが、岩手日報さんは「自分の県が生んだスターだから」と、コンスタントに記者とカメラマンを現地に派遣して取材されている。
普段はそれを県内向けに出すことを前提にされていますが、その取材成果は県外の読者にとっても十分すぎるほどの価値があるように思います。紙面は県内に届きますが、それとは別にネットを使って全国向けに岩手日報さんの記事を発信していただく。その際に「こういう書き方をしたら全国のユーザーにも読まれます」という提案をさせていただいています。
地方紙の皆さんのような事象に近い多くの媒体さんが、全国の読者も視野に発信していったら、NHKや全国紙の皆さんとはまた違った価値を打ち出せるネットワークができるのかもしれません。
ーーその記事の掲載料はどうなっていますか。
書き下ろしていただくので特別配信料をお支払いします。今はかなり変わってきましたが、本来PVは広告の指標でしかないのに、なんとなく記事の価値を示す尺度のようにとらえられてきました。LINE NEWSでは、従来のような1PV当たりの支払額算出というやり方と並行して、様々な支払方法を模索しながら掲載料をお支払いしていますが、それでもある程度はPVのような広告的指標に依拠せざるを得ないところがあります。LINE NEWSのスタッフ側にも「これで本当に記事の価値に見合った十分な対価をお支払いできていると言えるのか」という想いや危機感はあって、特別配信料を少し厚めにお支払いするようになりました。
とはいえあくまでスポットの企画で、1年に何度も書いていただくものではないので、媒体さんの全体的な売り上げからしたらとても小さい額ですが、「プラットフォーム側も、いずれはその記事がもっている価値に応じて単価を変えられる未来があってもいい、と思っています」というメッセージではあります。プラットフォームで働いているといろいろ難しさも感じますが、そこはあきらめてはいけないと思う。割いた労力とか裏付けの重さに応じて、記事の単価が変わるような世の中ができたらいいなと考えています。
ーー転職によって、塩畑さんの内面的な変化があったと思われますか
新聞記者は特ダネとか特オチに縛られているところがあって、「自分がまだ書いていないことを他社に出されてしまったらどうしよう」とか、自分が知らないことを他社が知っていて出されたらどうしようとか、出し抜いてやろうというのが無くなったというのは不思議な感じでしたね。LINE NEWSプレミアム向けの記事を書くときでも、一切関係なく書ける。それがやはり個人的に心地が良いものであったし、「特ダネとか特オチに縛られなければ、新聞記者ってもっと魅力的な仕事が出来るんじゃないか」と思ったりもするようになりました。
インターネット側に来て思いますけど、「特ダネ」と言っても極端に言えば、1秒後には後追いが出来るんです。どこかが打った特ダネがネットに出たことで、慌てて他社が後追いで取材した方がしっかり背景まで書き込まれていたりすると、場合によってはプラットフォームが取り上げるのは後追い記事の方で、何100万PVとることがある。それに直面すると、「あれだけ必死こいて追っていた特ダネって何だったのか」と思うようになりました。
また、事実ベースの初報はいくらでも後追いのしようがあるんですけど、背景などをしっかり書きこんだ読み物は後追いのしようがない。ドキュメンタリーや1年間継続取材して書いたものは後追いのしようがないから、そういうもので勝負したほうがいいというのはプラットフォームに来てみてはっきりしたことです。初報はすぐに埋もれます。特ダネもよっぽどのことがなければ、どこの媒体が報じたかまで覚えていてくださる読者は多くない。埋もれようのないものを書くというのが、これからのメディアには必要なんじゃないでしょうか。
(埼玉西武ライオンズの辻発彦監督を囲んで)
ーーコロナ禍によって働き方にどのような変化がありましたか。
LINEは早々にリモートに切り替わって、年内はずっとリモートです。地方紙さんにご挨拶にうかがって提案させていただく仕事が多かったので、それが出来なくなったことは書き下ろし企画の趣旨をご理解いただく上でとても難しいところではあります。代わりにオンラインで打ち合わせをさせていただくようになって、直接おじゃまするよりも媒体の皆さんにお時間、お手間をとらせずに済むという側面もあるのですが、それも1回お会いしていれば、というところはあります。いきなりZoomでミーティングというのを受け入れて下さるかどうかは、その媒体さんのお考え次第かなという気がします。
また、昔の仲間から話を聞くと、スポーツの取材現場もとてもたいへんそうです。レッズはZoom、西武は試合後に広報のスピーカーホンで選手や監督とやりとりをする形で、取材できる対象は1試合に1,2人だと聞いています。試合数が野球よりも少ないサッカーは、練習場の取材が大半なのですが、報道陣向けに練習が公開されるのも週に1日程度。記者の皆さんにとっては試練の時期だと思います。
ただ一方で緊急事態宣言の時期は、アスリートのみんなもとにかく時間があったので、Jリーガーや野球選手とZoomで雑談会みたいなものをたくさんやったんですよ。オフラインで選手と飲み会みたいなことをやろうとするととても難しくて、移動時間も入れると5~6時間位とらないといけない。相手をかなり拘束してしまうので、シーズン中はなかなか気軽にいけるものでもないです。でもオンラインなら自宅から1時間だけ参加でもいい。その前後に時間をとられることもない。取材目的ではなかったのですが、その中でとても興味深い話を聞くこともありました。オンラインは、そうやって時間の制約、移動の手間を大きく軽減させてくれる。それから、距離の障壁も。海外に行っている選手ともやりとりが気軽にできる。
ーー既存のつながりを深めることは非常にしやすくなっているのですか。
そうですね。他にも、距離や時間の障壁がなくなったから、ニッチなものを中心に人が集まることがより可能になると思います。アスリートも色々な可能性が広がるのではないでしょうか。例えばサッカーのパントキック(ゴールキーパーがボールをキャッチ後にボールを蹴る)だけに特化した、みたいな専門的すぎるコーチはリアルでやると限界がある。ただオンラインだったら全国から参加できるから、教わりたいという人がある程度集まってくるかもしれないですよね。
東京オリンピックでメディアが果たすべき役割
ーーコロナ禍で東京オリンピックが延期になり、スポーツとメディアの両方に影響があると思いますが、その中でスポーツ記者はどのような役割があると思いますか。
オリンピック種目のアスリートを取材する中で、何人かの選手が「4年に1度だけ日の目を見る」という言い方をしていて、それは本当にそうだなと思いました。もともと自分も超マイナーなスポーツをしていて、そういう競技の力になりたいと新聞社に入りましたが、残念ながら基本的にはそういうスポーツに紙面を割けるスペースは多くはありません。競技の特性もあって、なかなかマスメディアに取り上げられにくいから、スポンサーが集まってプロ競技になるという道も見えてこない。
ただそれは「その競技や競技者に魅力があるかないか」とは別な尺度の議論であることも多い。だからこそ純粋な魅力を伝える語り部がいてあげないといけない。その点でスポーツ記者ができることは少なくない。
3年364日かけてその1日のために準備する、もしくは選手の一生という意味ではもっと長い時間、プロ競技ほどには日の目を見ないところでずっと温めたものが1日で花が開くのがオリンピックの大半の競技なのだと思います。その人の一生が凝縮されているのに、結果だけを報じるのはあまりにももったいない。
さらに言えば、従来型の束売りの総合的な媒体は、自社媒体の中で網羅する必要がありますから最大公約数の記事を並べてきましたが、インターネットは束売りのコンテンツではなく、一本一本の記事で広がっていくので、他媒体と記事が被らないというのが結構重要です。全く他が出していないものを出していくのも必要だし、そうして役割分担していくと、非常に多くの競技がメディア全体としてカバーできていくのではないでしょうか。
一昨年、内村航平選手が、インタビューさせていただいた時に「2021年問題」(延期により実質的には2022年問題)という言葉を使われていました。東京オリンピックは特別なので、あらゆるメディアが東京オリンピックまでは予算をとり、大いに盛り上げます。ただ放送権もそこまでで、どのメディアもその先まで金を出し続けることはないでしょう。さらに「本当なら4年前に引退していたが、東京開催だから続けているというスター選手が自分も含めて結構いて、そういう選手はこの4年間若い選手の機会を阻害している側面もあった」と言っていました。
若い選手は機会を得られていなかったし、業界にお金もないということで2022年はスポーツ界にとって、2重の意味で試練の年になってしまうかもしれない。だから、2021年のオリンピックは実施自体にも難しさが伴う状況ではありますが、実施できたらどういうものにするか、というのもものすごく大事です。応援されにくい競技も引き続き注目してもらえるかどうかは、東京オリンピックの報じられ方がカギです。メダルをとった競技だけが注目されるのではなくて、あらゆる競技で結果はどうであれバックグラウンドのところもしっかり報じる。
マイナー競技の一番の問題点は、見たことがないから共感が出来ないわけですから、何かしら接点のようなものを記事の中で作り、その競技や競技者に対して世の中から共感を得ていくというのがメディアの仕事です。それによって、継続して応援される形を東京オリンピックは作れないといけないと思いますね。メダルを取っていない競技だけどストーリーがよかったから応援されるということが起これば、オリンピック後のきつい時期を多くの競技が乗り越えられるのではないでしょうか。
SNS時代における記者の価値とは
ーーコロナ禍でリモートが進み、記者の在り方が変わってきたと思いますが、今後変わらずに続けるべき点は何だと思いますか。
ある記者の方から「メディアがコロナ禍で取材が出来なくなり、選手が自らSNSで発信する機会が増えて、記者は要らないと言われたがどう思いますか」と尋ねられたことがあります。しかし、本人のSNSの発信と新聞社・記者の発信は全く違います。SNSで本人が発信しているのは主観で、新聞社の記者が発信しているのは情報です。主観と情報の違いはひとえに「裏付け」のあるなしだと思います。
「主観、つまり本人が話す言葉が一番信頼がおけます」というのもひとつの意見だと思うのですが、自分で発信すると、自分のことをカッコ良く見せたかったりして、バイアスかけてしまいがちというのもあるように思います。自分で発信するときは、かっこ悪いところを書かないこともできるし、逆にかっこよく書きすぎることもできない。第三者による検証、裏付けがないから事実としても弱い、という見方もできます。何より、誰もがストーリーテラーとしてプロ、というわけではない。やはりそこは記者の仕事だと思いますね。
記者がある取材対象者を継続して見ていたとします。ある日その対象が「A」といったら、その記者は発言の背景を1年分を掘り返して、点と点をつないで線にして面にしてストーリーとして仕立て上げます。それに比べると本人の発信は大半が点でしかない。それだともったいない。記者が介在して書いたほうがもっとかっこよく書けるのに、と思うことはあります。
SNSで自分で発信することの良さはあります。たとえばダルビッシュ投手や前田健太投手とかのつぶやきやYouTubeはとても面白いし。そして、取材者がすべての価値に気づけているかといえば、まったくそんなこともない。取材者に気づかれるのを待っているより、自分で発信してしまった方が早いというのは間違いなくあります。 しかし発信者によっては、ファンが選手に対して抱いている理想とか夢というのを崩してしまって、競技者や競技全体のバリューを下げているものもある。そういうものを見ると余計に、SNSで直接発信できることの良さとは別に、記者が介在するからこそ出せる価値もまだまだあるなと改めて思います。
それは今までもスポーツ記者がやってきたことでもあるので、原点に戻すということですかね。ただ今は取材の機会自体がスポーツ記者にはないから難しいですが、また取材が出来るような日常になった時には、選手のSNS発信と自分の発信は何が違うのかと意識してやることが出来れば、記者はいらないということにはならないんじゃないでしょうか。
また、記者がSNSで発信するケースが増えましたけど、それをどういう位置づけにするかというのはとても大事なように思います。ツイートがバズる、あるいはフォロワーが増えるといったあたりが本当にゴールなのか。見たまま聞いたままをツイートする良さもありますが、それを上手く伏線にして、完成形の記事が読まれる流れをつくれるといいのではないでしょうか。記者の本分はやっぱり、事象を見る、コメントを取るだけじゃなく、そこに意味を見出したり、解釈したり、その上で追加で話を聞いたりして、点と点をつないで線にする、さらには面にすることだと思うので。そういう完成形のアウトプットの前触れとしてSNSの投稿があったらいいと思いますね。
ーー今後してみたい仕事はありますか。
最近はものすごくありがたいことに、もっと書いたほうがいいと勧めてくださる方がたくさんいらっしゃいます。ただ、書き続けていないと自分がどういう人間なのかわかってもらえるきっかけがないから、書いたほうがいいなと思う一方で、43歳になって、もっと若い取材者に機会を持ってもらったり、応援する仕事をしていった方がいいとも思うのです。最近では、自分がちゃんと書ける人間じゃないと説得力を持つことができないから記事を書いているところがあります。
取材をしてみたい相手や領域は昔ほどなくて、「こんな取材をするとみんなにとって良いメッセージになり、こんな良いものが出ます」ということが表明できるような機会ならばやりたいですね。
noteの記事は昔の出来事ばかりですが、コロナ禍で「選手がSNSで発信しているものさえあればいい」みたいな風潮に対して、それだけでもないということを示したくて書いていたというのもあるんです。「新聞記者は事実的な裏付けもあるし、積み重ね的な裏付けもあって書いている」ことを、新聞記者の方は美学として自分では言わないところがあります。なので、一線を退いている僕が代わりに「新聞記者はこういう感じで取材をしていて、そのうえで記事がある」ということを伝えていく、というのもいいのかなと。noteの記事もその一端なのですが、スポーツ記者の取材の価値とかを証明したり、取材の価値を世の中から再評価してもらうために何かお手伝いをできないか、といったことを考えています。
ーー自ら書くというよりは、今後のスポーツ記者のために自分ができることをしていきたいのですか。
年を取ってきているというのもありますし、新聞の人間だから思い入れがあってそうなってしまうのかもしれません。新聞社の良いところは泳がせながら育ててくれるところ。僕が駆け出しだったころの日刊スポーツは、全国にサッカー担当だけで30人の記者がいて、全員で1~2ページの記事を作るので、大きな記事を書きたくてもなかなか書けなかった。ただ、だからこそ、今日駄目でもいつか出来ればいいと継続して取材することもできました。
ですからじっくり記者として育ててもらえたのですが、昨今は新聞社も雇える記者の数などに限りが見えてきたりしています。「とにかくこの記事で必ずPVを稼がなければならない」という状況もでてくる中では、記者として育っていく難しさはあると思います。個人的には「ではどうするのか」というところに関わっていきたい。
まだ明確な答えはありませんが…ただ、新聞社では取材現場で会社の先輩から教わってきましたが、これからは会社の組織や上下関係などに頼らず、取材のノウハウや、議論が出来た方がいいのではないかとは感じています。そういう議論のきっかけになるような意味で、僕はこれから記事を書かないといけないし、そういう議論を伝える場を作りたいなと思います。それはオンラインでやるサロンなのかもわかりませんが、そんなに遠からず実現させたいと考えています。
塩畑大輔
1977年茨城県生まれ。早稲田大学卒業後、2002年日刊スポーツ新聞社入社。カメラマンを3年経験した後、担当記者として浦和レッズ、中村俊輔、オシムジャパン、西武ライオンズ、男子ゴルフなどを取材。2017年LINE入社、LINE NEWSプレミアム執筆を経て、現在は提携媒体とのコラボ企画を担当。過去記事のポートフォリオはこちらから。
聞き手:大迫健寛、日本大学文理学部3年、(株)クロフィー インターン
執筆&編集担当:庄司裕見子、(株)クロフィー 編集部